どうしたことか、このページを作成するにあたって、まるで構成が浮かんでこない。 キューバはどこもかしこもフォトジェニックで、撮影カット数は800カットを優に超えた。それなのに、どのカットをトップに持ってきて他のカットをどのように配置したら良いのか、まるでアイディアが浮かんでこないのだ。 それだけキューバという国が、色んな顔を持っているということか、はたまた私の構想力が無くなったといことか……。 ということで、構成浮かばぬまま時系列でまとめることにした。ほかにどうしたら良いのかワカランのでご容赦 m(_ _)m |
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キューバに行きたいな、と初めて思ったのは角田光代の『いつも旅のなか』を読んでからだったか、はたまたテレビの旅番組を観てからだったか記憶は定かでない。定かでないのはそれほどずっと昔から行きたいと思っていたからだ。思い続けて何年たったかワカランけれど、とにかくカストロ議長が在任中に行きたかった。ところがいざ行くとなって、いろいろ調べるのだけれど情報がとっても少ない。少ないだけでなく、アメリカ$は使えないからユーロかカナダ$を持っていくのだと得ていた情報が、ある本ではアメリカ$が換金率が良いなどと書かれていたり、逆に税金が高くなるなどとも書かれていた。 現地で知ったことなのだけど、そのどれもが本当なのだそうだ。ただ、それだけコロコロと情勢&政策が変わるということらしい。だから、うかつに情報発信も出来ないのだと、現地の人が語っていた。 ということは、今後キューバを目指す旅行者がこの私のサイトを訪れ、キューバに行った後で、「話しが違うぞ! 嘘っぱちだぁ〜!」となる可能性が大なのだが、これは2010年5月の渡航記録であって、カストロ議長が政権を束ねていた時代のことでもあって、しかも北朝鮮と韓国が何やらきな臭くなっていた頃の記録なのだと理解してもらった上で読んで頂きたい。その辺の所ご理解のほど、宜しく! m(_ _)m |
カナダ・エアーの機内食。ワインはなかなかだったけど残念ながら食事は美味しくなかった。 |
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キューバに行くにはアメリカ経由でメキシコに入り、そこからキューバに渡るのが日本からなら便も多くて便利なのだけど、私が行った時点ではまだアメリカがキューバを認めてなくて国交が無く、何かと気を遣いそうだったのでちょっと日数的には損するのだけどカナダ経由で行くことにした。カナダで少し時間も取れそうだったので、冬季五輪直後のカナダも観てみたかったし。ということで初日はトロント第3ターミナルに隣接するシェラトンに直行! |
トロント空港のターミナル間の移動は、自動運転のスカイトレインで移動できます。 |
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トロントは成田空港と同様の自動チェックイン端末が導入されていた。成田で端末の操作に手間取ったわたし達は、果たして英語での説明で機械操作ができるかちょっと心配になったけど、ちゃんと日本語での説明もあって、むしろ成田よりアッサリと手続き完了出来た。成田の端末がワケのわからん事を言いだしたのは、どうやらちゃんとパスポートを読み込ませなかったのが原因だったようだ。 搭乗チケットを受け取り手荷物を預けて朝食を摂る。いつもなんだけど外国のファストフード店でのオーダーって困るのだ。だって、どんな食べ物か料理内容が書かれたメニューは無いし、なんかワサワサと忙しそうな店員に説明を聞くのもはばかれる。で、結局は写真のある商品から値段で決めちゃうのだけれど、美味い物に当たったためしがない。当たらない…というより美味い物が無い可能性の方が高いとは思うのだけれど。 トロントからキューバのハバナまでは3時間ちょっとのフライト。距離的にはけっこう離れているように思うのだけど案外近い。 機内でキューバ出入国審査カードや税関申告書を配ってくれた。だけどサッパリ読めん! 英語だって自信が無いのにそこに書かれてたのはスペイン語。キューバって国は物資が無いそうだから、きっと何種類もの言語での印刷が出来ないのだろうと善意に解釈し、理解できる部分だけを記入してあとは審査官に聞きながら記載しようとした。ところがたまたま入国審査を待つ列の中に日本人らしき人がいたので、「ここは何を記入すれば良いのですかね?」と聞くと、「あれ?英語の用紙を貰わなかったんですか?」。 私は何処の国籍と思われたのだろう? |
アメリカ渡航の際に面倒なことにならないようキューバではパスポートに入出国のスタンプを押しません。希望すれば押してくれるようですが。 その代わりに上のような出入国カードの記載を求められます。事前に用意しておいた方が無難、ということで渡航前に港区東麻布のキューバ大使館で発行して貰いました。手数料2.100円也。でもカナダ航空機内で用紙を配ってました。これを自分で記入すれば無料です(泣)。キューバ大使館も無料配布にしてくれれば良いのに。 |
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さてハバナ、ホセ・マルティ国際空港に到着。 まずは入国審査なんだけど、時間のかかることかかること。列に並ぶ人の数は少ないのに遅々として進まない。一件一件の審査に要する時間が恐ろしく長い。いったい何を調べてるのだろう? やっと私の順番になって審査官の前に進み行くと、私はアッサリとパス。どうやら渡航目的が観光以外の人をしっかりチェックしてるようだ。 入国審査を完了して荷物を受け取り税関を通過したら、さっそく換金所に向かう。キューバ・ペソを得るためだけど、アメリカドルはこの国では通用しないので(数年前は通用したらしい)、日本で換金しておいたカナダドルからペソに換金して貰う。アメリカドル以外なら日本円でもユーロでも、韓国ウォンでも中国元でも換金できるようだ。この時点では円よりカナダドルが有利だった。 キューバには2種類の通貨が存在する。国民が使用するペソと観光者用のペソだ。観光客が換金する際に既に税が掛けられていて、それが国費となる。あとで感じたことだけど、物価そのものは高くはないけれど、その税金分で割高感を感じた。 さて換金も済んで、今日向かうところはキューバの南西端に位置するマリア・ラ・ゴルダ。ここから約5時間もの車での移動だ。時間の事を思うと気が重くなるから、そこは忘れたことにして、まずは腹ごしらえをしておこうと空港内のレストラン(そんな気の利いた店ではないけど)に入った。「何か食べ物、ある?」と聞いたらパンとスパゲッティがあるというのでスパゲッティを注文。ミートソースのはずなのに出てきたそれは、皿の上に盛られた真っ白な物体。良く見るとスパゲッティが見えないほど粉チーズが振りかけられていた。しかもミートソースはスパゲッティの下にあって、フォークで混ぜるとやっと出てきた。 |
ハバナ空港内の換金所。こちらも長蛇の列で遅々として列は進まない。 アルデンテならぬユデテンテ。ウドンのようなスパゲティでした。 |
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マリア・ラ・ゴルダへ向けてひた走る。 |
途中に通過したピナル・デル・リオの街並み。 ピナル・デル・リオで見かけた子供。屈託がない。 |
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マリア・ラ・ゴルダへと向かう道は、片側3車線のまるで高速道路のような立派な道路だった。ガタボコ道を5時間も走るのかと想像していたけど、嬉しい誤算だった。時速100qを越えるスピードでガンガン飛ばすけど、人が平然と横断していた。さしずめ東名高速道路を横断しているようなものだ。 走る道すがら、あちらこちらでエンコした車を修理してる場面とヒッチハイクする人々の姿を見かけた。暑いので陸橋の下や大きな木の木陰には、必ずと言っていいほどヒッチハイカーがいた。ときには集団で手を挙げていたけど、きっと乗る順番も決まっているのだろう。あとで聞いたことだけど、やっぱり若くてきれいな女性の方がすぐに止まってもらえるそうだ。って事は私のようなおっさんは、どうなるのだ? この国では葉巻とラム酒が有名なんだから5時間もの道中、きっとたくさんのサトウキビ畑やタバコ畑を見るだろうと思っていたけど、ハバナからマリア・ラ・ゴルダへの地域では殆ど見かけなかった。痩せ細った牛が草をはむ牧場の方が多かった。 やがて道は片側3車線から2車線へ、そしてピナル・デル・リオの町に近づくにつれて1車線へと細くなった。ピナル・デル・リオはハバナからすれば相当な田舎らしい。確かにこっちの方がのんびりしてるように見える。実際、3車線道路のハバナ近くでは馬車は時々しか見かけなかったけど、車線が減るにつれて次第に車の数より馬車の方が多くなった。真っ黒な排気ガスをモンモンと吐き出しながら人を満載したトラックが走っていたり、村では馬が我がもの顔に公道を歩いていたりもしていた。 |
道路脇に時々見かける休憩所。 軽いスナックやビールやタバコ、エスプレッソコーヒーなんかを売ってる。 |
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途中でトイレ休憩を兼ねて道路の脇に点在する休憩所の一つに立ち寄ったときには、馬の蹄の音がするので振り向いたら、裸馬に乗った農夫らしき男がやって来て、ビールを飲んでる私のすぐそばの、手が届くところの木に馬の手綱を結びつけ、エスプレッソコーヒーを注文したのにはビックリした。 |
ハバナ市内では観光用しか見かけないけど、ちょっと田舎の方に行くと一人もしくは二人乗りの馬車で移動する人々とよく出会いました。人を運ぶトラックもバスよりも多いです。 |
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マリア・ラ・ゴルダはちょっとしたリゾート地かと思っていたけど、海辺にぽつねんと一軒だけある宿泊施設だった。宿泊客はその時で20人もいなかった。日本人はわたし達だけ。スタッフとは会話も交わしたけど、同宿のゲストとは殆ど会話することがなかったので、どんな国の人達が来ているのか判らなかったけど、彼らは殆どがスペイン語で会話していた。 そのスペインから来たという男性とダイビングで一緒になったが、スペインからキューバまでは9時間ほどだそうだ。私が日本からは2日かかると言ったら驚いていた。 |
上のカットはマリア・ラ・ゴルダのわたし達が利用した林の中のコテージ。 左カットは海辺のコテージ(左の2棟)とレストハウス(右端)とダイビングショップです。 |
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わたし達はただダイビングのためだけに5時間もかけてここマリア・ラ・ゴルダに来たのだけれど、他の宿泊客はレンタカーを借りて(ここで借りられる)ドライブに出かけたり、サイクリングに出かけたり(きっと灼熱地獄だ)していた。 ダイビングならここマリア・ラ・ゴルダ以外にもキューバで一番リゾートとして人気の高いバラデロや、キューバの南に浮かぶ島カヨ・ラルゴなどもあるけど、バラデロは他に比べてダイビングは今ひとつ、カヨ・ラルゴはマリア・ラ・ゴルダよりもアクセスが大変ってことでココにした。 でも、後で色々な事を知るにつけカヨ・ラルゴにすればよかったかな、と感じ始めた。ここマリア・ラ・ゴルダは散策するにはちょっと物足りない。カヨ・ラルゴには閉鎖された島ならではの文化や遺産的建造物がまだいっぱい残っているらしい。 とは言うものの、ダイビングを終えたあとで猛暑のキューバの町中を散策する気力&体力が残っているかというと、正直自信がないのも事実なんだけどね。 |
レセプション レストラン 大きなチェス。 ゲームする人、いるのかしら? |
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【ダイビング・ログ】 1本目(5/3):ミステリアス・チェーン 最大水深=27.9m 平均水深=15.5m 水温=28.1度 透明度=25m 2本目(5/3):エルカベソ・デ・マルセーロ 最大水深=17m 平均水深=8.1m 水温=30.0度 透明度=20m 3本目(5/3):エル・ミラグロ 最大水深=27.0m 平均水深=11.5m 水温=28.2度 透明度=20m 4本目(5/4):マジョルカ 最大水深=28.3m 平均水深=15.4m 水温=28.3度 透明度=15〜30m |
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ここ周辺だけで32のダイビング・ポイントがあった。出来ることならもう少し潜りたかったし、カリブ海の固有種代表格でもあるターポンに会えなかったのも残念だったけど、穴から出て全身を見せてくれるジョーフィッシュやヒラヒラと可憐なジャックナイフ・フィッシュなどに会えたから良かった! 陽気な現地人ガイドは、何度もわたしに一緒にナイトダイブに行かないかと誘ってくれた。他にもダイバーは10人ほどいたのに、私しか誘っていなかった。何でだったのだろう? 今になって、やけに気にかかる。 メキシコのコスメルもそうだったけど、こちらのダイビングスタイルは基本的なバディ・システム重視。あれやこれやを見せてくれるようなガイダンス・ダイブではなかった。一緒に潜った他のダイバーを気遣う必要もあまりなくて、それはそれで気楽なんだけど、日本人ガイドのダイビングに慣れてしまうと、ちょっと物足りなく感じてしまう。 |
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午前中に1本だけ潜り、機材を洗って乾く間に荷物のパッキングと昼食を済ませ、さぁそろそろ出発かな、という時にちょっとしたハプニングがあった。 ハバナまで片道一人50ペソ(2010年5月時点で1ペソ=約90円)で送ってくれるトランスファー・サービスが最低4人集まらないと遂行出来ないと言うから、前日に4人分払っていた(その方がタクシー手配するより安い)のに、出発直前になって車が故障したという。今さらタクシーの手配か?と思ったら、従業員と一緒のバスに乗ってくれないかと言う。 4人分の料金が2人分になるのだから即決でOKしたけど、たまたま従業員が戻ることになったのでわたし達をそっちに乗せることで経費削減を計ったような感じ。まぁ、そうであったとしても同じ5時間乗るなら小型車よりバスの方がラクチンだ。運賃が占有車と一緒ってのは正直解せないのだけど、細かいこと言うのは止めとこう。少しだけだったけど、道中スタッフとお話しも出来たし、ちょっと遠回りになったけどスタッフ各々の家に立ち寄ったりと、それはそれでとても興味深いドライブとなった。 |
従業員と一緒に乗った大型バス。中国製だったけど乗り心地は良かったです。運転手さんは故障が多くて困ると嘆いていたけど(^^) |
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ダイビング機材をメッシュに入れたままトランクと一緒にバスに積み込み、マリア・ラ・ゴルダを出発したのは午後1時30分だった。ピナル・デル・リオ周辺の村々を回って従業員を一人また一人と降ろし、途中でヒッチハイカーをピックアップしたりして(やはり若い女性だった・笑)、ハバナに戻ったときは19時を過ぎていたけど街にはまだ明るさが残っていた。 これから3晩お世話になるホテル・フロリダは、ハバナ旧市街の外れにあって、ロケーションとしては絶好の位置だった。ホテル前の道が狭くて大型バスは入れないのでトランクをゴロゴロ押してホテルに向かう。しかし、この辺の道路はみな石畳なので重いトランク押すのはチト辛かった。 |
ホテル・フロリダのエントランス。 ドアの高さは優に5bはあるでしょう。これが宮殿でもなくスペイン統治時代の私邸だって言うんだから驚きです。 ホテル・フロリダのプレート。どうやらこの建物は1885年の建造らしい! |
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さて翌朝は午前中だけハバナ市内の半日観光オプショナル・ツアーをお願いした。いかんせん右も左も判らないので、半日だけでも連れ歩いてもらえればこの国の雰囲気もつかめるだろうと思ったからだ。実際、たった3時間ほどのツアーだったけれど、新・旧ハバナ市内を案内して貰ったおかげで、この街の雰囲気や移動手段を知ることが出来て、その後は安心して移動が出来た。 では、まずはオールド・ハバナ、旧市街(世界遺産)から。 左の建物は修復が済んでるけど、右側はまだスペイン統治時代のまま。外壁がポロリと崩れて落ちてくるところを目撃した。 この旧市街の対岸にあるのがカバーニャ要塞(これも世界遺産)。向こうに見えるのがニューハバナ・新市街(↓)。 こちら(↓)も世界遺産に指定されてるキューバ最古のフエルサ要塞。上のカバーニャ要塞と共に、ハバナに攻め入って来る海賊船を砲撃していたそうだ。まさにパイレーツ・オブ・カリビアンとの戦い! キャプテン・ジャック・スパロウもこの湾に来たのかもしれない。 ここ(↓)が革命広場。もっと広々した場所を想像してたけど思っていたより狭かった(それでも広いけどね)。正月とメーデーにはカストロ議長の演説もここで行われ、数十万人の人で埋まるそうな。私たちがキューバに降り立った2日前にも議長は元気な姿で演説したという。 塔には昇れるらしいけど、頻繁に起こる停電でエレベーターが途中で止まってしまったりするそうだ。わたしは登らなかったけど、登ればハバナ市内の街並みがどんな造りになっているか一望できるそうだ。 塔の前にデンッ!と構えるのはキューバの独立革命を起こしたホセ・マルティ像。キューバではゲバラやカストロよりも彼の方が尊敬されているらしい。この塔の後ろにチェ・ゲバラと、………アレ? 誰だったっけ(苦笑)? 大きなモニュメントが二つある。 下はかつての国会議事堂。今は図書館だったかな?(忘れてしまった(^^;) アメリカと断絶状態だけど、アメリカのホワイトハウスにそっくりってのはアメリカ統治時代のなごりだ。 お次はカテドラル(大聖堂)。左右非対象なのはこの時代では珍しいらしい。 上のカテドラルの中(↓)。かなり荘厳な雰囲気が漂っているのだけど、私の写真の腕前ではそれを伝えられないのが悲しい(泣)。 こうやって改めて写真を見ていくと、本当に写真好きには堪えられない。どこもかしこも被写体なのだ。もっともっといっぱいのカットを撮ったのだけど、建造物ばかり紹介しても飽きられちゃうだろうから次に行こう。 キューバと言えば葉巻にラム酒。それを愛したのがアーネスト・ヘミングウェイ。ってことでヘミングウェイ行きつけの酒場ラ・ボギータ・デル・メディオ。 細い裏通りにあって、お店の入り口も小さくてちょっと判りづらい。中に入るとウナギの寝床のように奥に長い店内で、お店の壁や天井にグッチャリと悪戯書きがされていた。日本語のものも少し探したけど、悪戯書きの量が凄まじくて見つけられなかった。 で、こちら(↓)がヘミングウェイの定宿だったアンボス・ムンドスのエレベータ。乗るにはちょっと度胸が必要(笑)。扉は手動なので自分で開閉しなくてはならない。閉め忘れると動かないから注意を。止まったエレベータ動かしに8階まで階段登らせるのは酷というもの。私たちも8階で食事したときにボタン押しても来ないから、階段で降りたら1階で扉が半開きになって止まってた。 ヘミングウェイの部屋は4階にある。部屋は意外に狭かったけど、使いやすそうなレイアウトだった。実はかみさんはこのホテルに泊まろうとしたらしいが、値段と使い勝ってはフロリダの方が良いと誰かに教えられたらしい。確かにこのホテルは見学と食事で充分だった。 このアンボス・ムンドスのレストランは8階にあってオープンテラスになっている。下の写真がそのレストランからの眺望。向こうの丘の上にカバーニャ要塞の城壁が見えるのがお判りになれるか? ちょっと遅めの夕食を摂っていたら対岸に松明らしき明かりがチラチラし出して9時(ちょっと過ぎてた)にド〜ン!と大砲の音が聞こえてきた。この大砲の儀式は毎晩行われていて、かみさんは見たいようだったけど早い時間に行かないと良い場所が取れないってことで諦めてた。ほとんど音だけだけど、少しは満足出来たかな? さてと、キューバのもう一つのお楽しみも載せておかなくては。 酒と葉巻の次にキューバといえば、サルサが有名ですな。音楽が流れれば必ず誰かが踊り出す……なんて何かに書かれてたけど、そんなことはまるでなかった。 そりゃそうだ。いくら踊りが好きだからって、音楽が流れるたびに踊り出してたら単なるバカだ。それにキューバ人だって昼間は暑くって踊る気にもならないだろう。 だから彼らのお楽しみタイムは夜も10時過ぎからだ。宿泊していたホテル・フロリダのパティオ(中庭)も10時から生バンドによるダンス・タイムとなり12時過ぎまで喧噪が続いていた。日本の大阪に行ったことがあるというキューバ人に、こちらもキューバでは有名なラ・カサ・デラ・ムシカでパーカッションを叩いているからおいで、と招待状を貰ったのだけどスタートは10時30分。行きたい気持ちは山々だったけれど、朝から歩き通しで足はもうヘロヘロ。これから立ちっぱなしで踊るのは、かなり厳しい。昔は私もこれくらいならまだ、ガンガン遊べていたけど、それはもう既に10年以上も昔のことなんですよ(泣)。 ということで老体はキューバ名物のキャバレー・トロピカーナでボンッ!キュッ!ボンッ!の踊りを堪能してきたのだった(それでもホテルに戻ったら深夜の1時過ぎだった)。 キャバレー・トロピカーナは前列、中列、後列と料金設定されている。前列は後列の倍ほどする。けれどせっかく来たのだからと大奮発して前列の席を予約した。 場所は新市街をちょっと外れた所にある。ショーの開始は10時からだけど、早めに行った方が良いと聞いていたのでタクシー捕まえて9時30分頃に到着。女性もみなドレスアップしていて、エントランスからして雰囲気が違っていた。 中列や後ろの席がどんなサービスだったのか暗くて見えなかったけれど、前列は着席するとまずシャンパンが、そして女性には花が男性には葉巻が振る舞われた。ショーの途中にはちょっとしたおつまみと一緒にラム酒がナント、ボトルで出てきた。当然飲みきれず、お土産として持ち帰りました。 ショーは約2時間。途中で飽きるかと思ったけど、バリエーションに富んだ内容で全然飽きなかった。まぁ、おねえさん達が綺麗だから飽きないってのもあるかもしれないけど(笑)、最後はその綺麗なおねえさんと一緒に踊ってフィナーレ! ★上の写真も動画サイトにリンクしています。 |
古い建造物と並んでキューバの名物といえばクラシックカー。みんな綺麗にして大切に乗ってます。郊外では何度もエンコしてる光景を見かけましたが(笑)、今の日本に欠けている精神がここにありました。 ハバナの街で見かけるもう一つの乗り物がグァグァと呼ばれるラクダバス(連結バス)です。バスは結構走っているのですが、行き先が分かりづらくてハバナっ子でも間違えるそうです。 バスを登場させたので、それ以外の公共の乗り物をご紹介しておきます。 まるで遊園地の乗り物のようですが、ココタクシーと呼ばれる3輪タクシーです。ココナッツのようなのでココタクシーです。 で、こちらは人力によるビシタクシー。 一般的なタクシーももちろん走ってます。メーター付きのタクシーもありましたが、私が乗った3回は全て乗る際に料金交渉でした。上記のココタクシーもビシタクシーも、当然行き先を告げてからの料金交渉になります。 ハバナ市内では上のような観光用の馬車が頻繁に闊歩してます。何度か乗らないかと声を掛けられたのですが、歩いてばかりで乗ることはありませんでした。でも、この馬車で市内をグルッと回るのも一興でしょう。観光には馬の並足速度が一番だと思います。 ついでなんでもうひとつ。 エ〜っと、バキュームカーではありません(汗)。給水車です。旧市街にはスペイン統治時代の今は使われない上水道もありましたが、現在は水道はありません。各家庭やホテルにはこのような給水車が時々来て補給していきます。わたし達が滞在中にもホテル・フロリダの水が枯渇して緊急用のタンクを使用しましたが、ずっと赤い水が出ていました。 ハバナ駅です。あまり利用されていないようで駅は閑散としてました。蒸気機関車を走らせる計画がだいぶ以前から立ち上がっているそうですが、なんの気配も無いと現地の方が言ってました。 左上写真のかつての国会議事堂の階段を昇り見下ろすとこんな(↓)光景が広がってます。 で、その階段の下ではこんな針穴写真機みたいので写真サービスしてました。一応インスタント写真が写ってましたが何日か経つと絵が消えてしまうそうです(笑)。 キューバの素晴らしいところは、何と言っても医療と教育が無料で受けられることでしょう。医療機器が乏しくて治療には困っているようですが、国として素晴らしい事だと思います。街の中を歩けば至る所に教室があって子供たちが勉強しています。識字率はほぼ100%だそうです。 教室は至る所にあるけど校庭はないので体育の授業は広場で行ってました。 食料も完全な無料ではないそうですが、配給制になっているそうです。 旧市街で見つけた肉屋さん。けっこう暑いのに置いたままです。大丈夫なのかなぁ? 食料が登場したのでキューバの代表的な食べ物をご紹介しましょう。 チチャローネスというブタの皮の唐揚げです。お酒のおつまみです。味はまぁまぁなんですが、堅くて………ギブアップ(^_^;) キューバ定番ご飯・コングリです。見た目は日本の赤飯のようですが、ニンニクやオリーブオイルと共に炊かれているようで、ちょっとスパイシーです。 キューバでは殆どジュース代わりのモヒート。サッパリしてて美味しいけどけっこう強い。マリア・ラ・ゴルダではモヒートよりビールを飲む人の方が多かったように感じたけど、昼間に飲むには確かにビールよりサッパリしていていい。 さてお酒の次は葉巻屋さん。 奥には部屋があって試吸(?)出来ます。 世界を旅歩いたヘミングウェイですが、彼が一番愛したのはやっぱりキューバだったのではないかと思います。 下の写真は彼が使用してたタイプライター。既に足が悪くて立ったままタイプしていたそうです。 ホテル・アンボス・ムンドスのヘミングウェイの部屋は有料で閲覧できます。確か4ペソだったかな(^_^;)? 部屋に入って最初に目が行くのが上のタイプライターですが、私は壁に掛かるこの(↓)写真に目が釘付けになりました。 ネ? 素敵だと思いません? 写真の女性が1度目の奥さんなのか2度目なのか、はたまた別の彼女なのか聞くのを忘れてしまったほど、私には素敵なポートレイトでした。 |
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オッ! 面白い犬たちだ…とパチリとシャッター切ったら、変なおっさんが足早に近寄ってきて「はい、1ペソ!」。 旧市街を歩いていると、こんな犬たちや極太の葉巻をくわえた髭面の爺さんや、着飾ったおばさん達に出会う。渡航前に葉巻の爺さん写真撮ったらたかられた…という記事を読んでいたのにコロッと忘れてしまっていた(^^;) しかし、葉巻の髭爺さんといい人形乗せて乳母車押してる婆さんといい、とっても絵になる顔をしてるのだ。正直、1ペソ払ってでも撮っておきたいくらいだった。自分のキャラクターをあれだけ熟知して商売に出来るってのは凄いなぁ。しかも彼らは自分がもっとも絵になる場所を知っているかのように、これまた見事に街並みに溶け込んでいるのだ。 さて、明日はカナダへ向けて出発だ。 ハバナ郊外では至る所で道路上で故障した車の修理していたし、マリア・ラ・ゴルダではレセプションの男性がパソコンを修理していた。医療教育では世界でもトップレベルらしいし、この国の人々の知識・技術は相当なものだと思う。これで日本のように物資が自由に手に入るようだったら、この国は素晴らしい発展をすることだろう。 そして何よりも、人々がみんな幸せそうだったのが一番印象深かった。国民の平均月収が日本円にして1500円だなんて、到底信じられいほど陽気でフランクで笑顔ばかりの国なのだった。 |
アルマス広場の古物売り。けっこうな値打ち物が出てる時があるそうです。 「何か買ってけ」と言われたから「日本語じゃなきゃ読めないよ」と断って歩き出したら、暫くして追いかけてきて私を連れ戻し「ほら、あるぞ」と↓(笑)。 旧市街一角の開発中だった新・観光用エリアで見つけたウォールペイント。建物の絵は向かいの建物を描いてありました。シンメトリー画です。 ヘミングウェイとカストロの絵葉書。キューバ自体がフォトジェニックな街なのに、お土産屋さんでは必ず数々の絵はがきや写真集、絵画などが売られています。そのどれもがまた、いい写真や絵ばかりなのです。 |
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帰路も乗り継ぎの関係でトロント泊。トロントには夕方の4時頃に到着するので、折角だからとダウンタウンに宿泊することにした。空港からダウンタウンまでは高速バスで約30分。バスが走る高速道路の右手には、まるで海のように広いオンタリオ湖が広がる。寒いとは予測してはいたけど、気温は10度だった。わたし達の到着前日には雪が降ったらしい。4時間前までは常夏の国だったのに。 宿泊先はフェアモント・ロイヤルヨーク。入り口には映画に出てくるようなドアマンがいて、ちょっとゴージャス。聞き及ぶに天皇陛下もお泊まりになられたらしい。単なるトランジット利用にはもったいないような気がしたけど、かみさん曰くそれほど高くはないらしい。でも私は値段を聞かない。知りたく無い。だって怖くて……(>_<)。 ↑ダウンタウン市内の路面電車。 ↓オンタリオ湖畔。向こうに見えるのは対岸ではなくて、ナント島! ところで湖にもカモメが来るんだな。知らんかった。 |
流石カナダ!ホッケーのモニュメントが。 霞んで見えるのはCNタワー。 この廊下の長さ! 向こうが見えない? フェアモント・ロイヤルヨーク全景 |
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【後記】 都合キューバには5泊した。行く前はずいぶんと長く滞在するなぁ、と思っていたのだけど、旅はいつものことながら嫌だと言ってもアッという間にカレンダーを進めてしまう。小さな国だと思ってたけど、歩いての散策が多かったせいかキューバはとても広く感じた。ハバナを中心にキューバの南西部しか見ていないけど、東部にも是非とも行ってみたいと痛切に感じた。でも、まだまだ他に行きたい場所があるから、そのチャンスが訪れることはまずもう無いだろうなぁ。 確かに共産主義というもののデメリットも感じた(勤労意欲を感じない)。でも、少なくとも私には今の日本にない素晴らしいものがいっぱいある国に映った。それは先にも書いたけど、貧しくても人々がみな明るく人生を楽しんでいるってことだ。 遠かったけどほんとに行って良かったと、今まだキューバの余韻に浸っている。 (2010年5月29日記) |