30年前の川平の景観 | 今回訪れた川平の景観 |
画像が劣化したのが残念! でも景観は現在と一緒 | きっと今後30年たってもこの景色はこのままなんだろうなぁ |
実は30年前の学生時代、ここ川平湾を訪れたことがある。当時、石垣市内からヒッチハイクでトラックの荷台に乗せてもらった頃は、道路はガタガタの未舗装道路で市内から1時間ほどかかった(今は40分ほど)。途中にはパイナップル工場もあって、立ち寄るとパイナップルをくれた。到着した川平周辺には何もなくて、ジワジワとうるさいクマゼミの鳴き声しか聞こえなかった。 みやげ物屋などまだ1件も無くて、建物と言えば黒真珠の養殖販売をする鉄筋コンクリートの小さな建物と、菓子パンなどを売っている雑貨屋さんくらいだった。 |
しかし今回の再訪では、湾がどっちの方角にあるのか想い出せないほど様変わりしてた。ホテルがありペンションがいくつもあり、土産物屋からは懸命な客の呼び込みの声が聞こえ駐車場は混雑からタクシーが車の切り返しに苦労してた。正直言ってその時はガッカリした。まさか30年前のままとは思ってはいなかったけれど、ここが同じ川平だとは思えなかった。 しかし、湾を見下ろす公園を歩くと、係留されている船の数と観光客の多さ以外は30年前の景色が広がっていて驚いた。海の青さも昔のままだった。 |
今でもそうだと思うけれど、あの頃この周辺は遊泳禁止区域だった。私は少し泳ぎに自信があったので、『遊泳禁止』の立て札を無視して対岸の島まで泳いで渡ろうとした。ご覧の通り、島までは2〜300mほどだ。少々の流れがあっても軽く泳ぎ渡れると思っていた。ところがちょっと泳ぎだしただけで私はアッという間に湾の外、外洋へと流された。だからと言う訳では無いけれど、今回は高台から見下ろすだけで砂浜にも降りず、怖かったあの時を思い出していた。夜、私が溺れかけた浜辺では明かりに照らされて寄ってくるイカ目当てに釣り人が竿を振っていた。 |
海の飛行船・マンタに逢いに |
後記 | ||
4年前に仕事で石垣島に訪れた際、市内の変わり様に驚いた。車の多さと(渋滞もある!)、景観の変わり様にだ。30年前にお世話になった民宿も見つけられなかった。もしかしたら、もう無くなっていたのかもしれない。 そして今回、30年ぶりに訪れた川平でも、土産物屋が建ち並ぶ様に驚き、観光客の多さにも驚いた。島とすれば観光が一番の収入源だろうから、観光客が多いことは良いことだと思うけれど、学生時代に訪れた時は半日フラフラと川平で遊んでいて殆ど人に会わなかった。それでも川平湾の景観が変わっていなかったことは、とても嬉しかった。 |
太陽の傾きと共に色を変える湾の美しさがそのまま残っているというのは、島の人々がこの美しい自然を大切にしているからだろう。 竹富島が島の景観にそぐわないような建物を建てないよう努力するように、日本中の自然が地域ぐるみ、そしてそこに訪れる観光客も、大切にしていかなくてはならない。人間が作り上げたものやお金は努力すればまた得られるけれど、自然は失うとそう簡単に取り戻すわけにはいかないのだから。 |