年をとってくると、2月の旅は寒く雪にも見舞われる可能性もあり、どうにも行動が鈍りがちになる。それなのにこの月はアニバーサリー・マンスなもんだから、かみさんは決まって何処かに行こうと画策する。それでもせめてこちらの趣味・趣向なども考慮に入れてくれれば良いのだが、そんなことは全く思考にないらしく、どうにもピント外れが多い。昨年もそうだったが、私にはどうにも行く気にはならない場所ばかりなのだ。    今回もまた「唐津に行きたい」などと言い出したのだった(昨年は熊本・天草だった)。何故に?と問えば、「だって唐津焼に伊万里焼、有田焼に備前焼とこんなに焼き物が盛んな場所はないんだよ」ときた。「焼き物なんか全く興味ないから行かん」と私。何処だったら行きたいのかと聞かれたから「長崎の軍艦島かなぁ」とテキトーに返事をしておいたら数週間後、「○月△日の長崎行き、帰りは□日の福岡便、押さえたから後は宜しくネ」。 
「後は宜しく!」ではなかろう。とは言っても押さえてしまったてんだから何か予定を組まなくちゃならん。私にとっては軍艦島以外に特に行ってみたいところが思いつかない。長崎県全域となれば話は別だけど、エリアが限定され、さぁ何処に行く?となっても私には情報は皆無に等しい。はてさてドウスルベーかと、ちょっと調べてみた。長崎空港から長崎市内へ向かう途中にペンギン水族館があるという。しかもガラスや柵に遮られてではなく、砂浜で遊ぶ姿が見られるらしい。取りあえず初日は、その長崎ペンギン水族館に寄ってから長崎港に向かい軍艦島へと渡ることにした。翌日からはかみさんのアッシーになると諦めて。で、今回の二泊三日の旅行はこんな行程(右図)になった。
2日目以降を簡単に説明しておくと、長崎を出て唐津に向かうのだが、その途中で有田焼、伊万里焼などを見て行きたいというのがかみさんの指示。アタシャ興味ゼロなんで、唐津の海岸線にあるという虹ノ松原だけを楽しみに走る。
3日目はなんも考えとらんらしいので、私は唐津湾にポッカリと浮かぶ高島に向かうことにした。なんでこの島に行くことにしたかは後述。かみさんには「その間、唐津城でも散策しとれ」と言い残し、私は独り渡し船に乗ったのだった。
さて初日。天気も快晴でこの調子なら軍艦島(正式名称は端島)に渡航そして上陸も出来そう。聞くところによれば、軍艦島周辺は海が荒れることが多く、上陸できないばかりか渡航中止になることも多いのだそうな。上陸出来ないのは致し方ないとしても、せっかく長崎まで来てその姿さえ見られないでは悲しすぎる。
長崎空港には9時30分に到着。予約してあったレンタカーで真っ直ぐペンギン水族館に向かった。水族館には1時間ほどで到着。ちょうどペンギンたちの朝食タイム(?)に間に合った。遠足で来ていた幼稚園児たちと一緒にワーワー、キャーキャー言いながら可愛いペンギン達を愛でる。二人ひと組で仲良く手をつないで歩く幼稚園児達がペンギンとダブる。
軍艦島渡航船の集合時間があって、それに間に合わないと乗船出来なくなる。そんなもんだから、出来ればもっとペンギンたち(他にも海洋生物はたくさんいる)と遊んでいたかったけど後ろ髪を引かれる思いで水族館を後にする。
 
長崎ペンギン水族のHPはコチラ。可愛いコガタペンギン(差別的?名前が付けられていたので改称))食事の時の動画も撮ったのでそれもご開帳、じゃなかった公開します。コチラから。

ペンギンたちに別れを告げ、再び走ること1時間弱。長崎市内に入ると交通量も多い。ところが困ったことに長崎港近くの駐車場はどこも満車。周辺に駐車場はたくさんあるのだが、しかも平日だというのにどこも満車なのだ。昼食時だからだと推測。致し方ないので、港からはちょっと離れてしまうけど今夜のお宿(ビジネスホテル)の駐車場に入れることにする。車をホテル駐車場に置いて裏路地に入ったら何とも美味しそうなちゃんぽん店を発見。長崎に来たんだからちゃんぽん食べなきゃね。予想通り美味しいちゃんぽん屋(江戸びし)でした。昼食時間でも禁煙で無いのがちょっと残念だったけど。
軍艦島クルーズ船は数社が営業してる。その中で船足が速そうな、そしてガイドさんもいる会社を選んだ。どの会社も予約制で、早々に予約一杯になる。私は2ヶ月前に予約したけど、それでもギリギリだった。平日でこんなだから日祭日ともなればかなり難しいだろう。
乗船受付を済ませて乗船時間まで珈琲飲んで休んでいたら、港に行った時には長蛇の列になっていた。乗れないことは無いのだけれど船内の席に座れず船外デッキに。2月の海上を走るのにデッキは辛い。まぁ、景色は良く見えるし撮影にも都合が良いので一長一短あるのだけど。
長崎港からまずは高島に向かう。ここに寄ってくれる船は数社のみ。私はここに立ち寄ることも楽しみにしていたのだ。実は40年前、私はこの高島に当時はまだあった炭鉱の宿舎で、食事配膳のお手伝いをした事があったのだ。
 
高島に上陸して愕然とした。記憶に残っていた景色が何も無いのだ。様変わりしてるだろうことは予想していたけれど、まったく記憶と何もリンクしないのだ。ふと本当にここは高島なのだろうか?と思ってしまった。私の記憶してる島ではなかった。島を一周回って来たかったけど、上陸時間が30分ほどしかなく諦めた。
高島から端島(軍艦島)までは30分ほど。端島が軍艦島と呼ばれる所以は、トップの写真のように見る角度によって軍艦のように見えるからだ。
上陸出来なくなることが多いという理由はすぐに分かった。船着き場の周りに防波堤的なものが何も無いのだ。だから、船は外洋からの波をダイレクトに受ける。この日、ガイドさん曰く「年に数回しか無い」ほどのベタ凪だったにもかかわらず、係留された船はウネリで揺れた。
高島炭鉱軍艦島の歴史は書かないので、興味のある方はそれぞれリンク先をご覧ください。
 
ここが世界文化遺産に登録されたことは喜ばしいことだけど、私はこの軍艦島の景色がこのまま残ることは難しいだろうと感じた。崩壊が激しいのだそうな。過酷な気象条件をまともに受けるこの地で、この建造物をそのまま残すのは無理だろう。保存のための努力は必要だと思うけれど、崩壊してしまったものを復元するような愚かなことは止めて欲しいと私は願う。こうやって誰かが記録として残しておけば良いのだと思う。変わり果てた、いや島民の皆さんにとっては良い意味で変身した高島を見た後だけに、特に強くそう感じた。この世には残さなくてはならない物が確かにたくさんあるけれど、移ろい変化していく世の中で、無くなる物があることも致し方ない事だと思うのだ。
軍艦島への航路途中には、そのほかにも文化遺産がたくさん見られる。三菱重工造船所のハンマーヘッド型重機なども眺めることが出来たけど、私は目の前に現れたイージス艦に目が止まっていた。
  2日目。ホテルから徒歩数分の場所にある出島をチョロッと散策して(左写真)唐津に向かった。長崎市内を抜け北上。最初に「寄れ!」と命じられたチャイナオンザパークまでは1時間ちょっとの距離だ。ここには色んな焼き物のアウトレットがあり、美味しい(らしい)レストランもあるというので、そこで昼食を摂ることにし、先に有田焼の店が並ぶ有田に行った。確かに街中は焼き物のお店ばかり。車を止めろと言われるかと思っていたら何の注文も無く、そのまま街中を流してチャイナオンザパークに戻る。かみさんがアウトレットで買い物してる間に私は周辺を散策。深川製磁初代深川忠次の作品が見られる(らしい)忠次館や、手入れされた庭園もあったけれど、この時期では咲いてる花も少ないので共にパス。そうこうしている内にかみさんも戻ってきたので評判だというレストラン・究林登(クリント)で昼食。確かに綺麗なレストランではあるけど、お味の方は普通。特にお勧めするほどではありませんでした。 
有田を後にしてあとはひたすら唐津に向かう。途中、睡魔に襲われてしばし休息。雨が降ったりやんだりで空は黄褐色の変な色。ラジオからは「今日のPM2.5は××で…」と天気予報と一緒に大陸からの汚染空気飛来の予報も流れてくる。北九州はそういうエリアなんだと改めて実感。
唐津には2時間かからずに到着。雨降りが残念だけど虹の松原に向かう。この虹の松原は海岸線に沿って約6.5㎞ほど松林が続く。この日に宿泊した宿の仲居さんに聞いたのだけど、もともとは2里(=約8㎞)あって、“にり”が“にじ”になったそうな。歴史の割に低い枝振りの松が多いのだけれど、豊臣秀吉に「頭が高い!」と言われて成長しなくなったという冗談まで話してくれた。
今夜のお宿は洋々閣。このお宿もなにやら有名な方とご縁のある宿だそうで(興味がないので聞いたけど忘れた)、館内にはいくつかギャラリーがある。それを見るためだけに訪れる人も多いそうな。私は早々にお風呂に入りビールをいただく。
 
こちらのお宿の料理は最高だった。クエの特別料理をお願いしたってのもあるんだろうけど、出される品々はどれも絶品でした。
さて3日目。車を宿の駐車場に置かせて貰い、私は10時発の高島行き定期船に乗る。さて、長崎でも高島に行ったのだが、唐津の高島には何故に行ったか? ここには知る人ぞ知るちょっと有名な神社がある。名をホートージンジャ、という。ホートーだが甲府のうどんとは無関係だ。
 
ホートーは宝当と書く。そう、宝くじを持参してこの神社で祈願すると当たると有名なのだ。私も数日前に滅多に買わない宝くじを買い求め、この日に備えたのだった。 
高島行きの定期船は唐津城駐車場の外れから出港する。高島までは10分ほど。定期船(片道210円)の他にも海上タクシー(片道500円ほどらしい)もある。宝当神社は高島の港から歩いて数分の所にあるから、お参りをして、来たときに乗ってきた定期船が唐津に戻る時間(45分停泊)に充分間に合う。
この宝当神社の裏手に裏参道なるものがあって、そこにはこの神社の御祭神・野崎隠岐守綱吉公のご遺体が安置されているらしい。そこにもご参拝。そしてこの裏参道を先に進んでいくと、この島の氏神様である塩屋神社がある。宝当神社からは徒歩5分ほど。宝くじ当選を望むなら、船着き場にある土産物屋(2軒ある)で金運を封じ込めるという宝当袋を購入し、そこに宝くじを入れて宝当神社で御札を購入してお参り。そして裏参道、塩屋神社にもお参りするのが定番らしい。しかし、3箇所のお参りはしたけど宝当袋は買わなかった。
だって真っ黄色であまりにもセンス悪すぎ! 確かに黄色は幸運の色ではあるけれど、抽選日が過ぎたら廃棄処分は間違いないシロモノ。七福神の格好でもしないと持って歩くのは無理な袋なのだ。まぁ、中にはこんな巾着袋が好きな御仁もいるかもしれんけど、アタシには無理。絶対に無理。どんだけご利益あるか知らんけど、再使用出来ないような物、買うわけにはいかんよ。
上の写真がその宝当袋を売ってるお店。他にも開運グッズや土産物を売ってる。写真の手前にももう一軒、同じ主旨の商品を売ってるお店があって、そっちのお店ではちょっと素敵なお姉さんが客引きしていた。写真に写ってる方のお店は数匹のネコたちが客引きしてた。
この宝当神社のご利益は凄くて、社殿の壁には当選者たちの感謝の手紙がいっぱい!(左下写真)。私の買った宝くじの抽選日はまだ先なので、このページを作成している今はまだ結果が出ていない。お賽銭は奮発したけど、真っ黄っ黄のキンキラ袋購入をケチってるようじゃ当たらんだろうなぁ。
さて高島から戻る船上でかみさんからLINEの連絡。私は「唐津城でも散策しとれ」と言ったのに、「旧高取邸にいるからコッチに来い」との命令。どこじゃ、そこ? iPhoneでマップ検索したら唐津城の数百㍍西にあるようだ。トコトコ歩いて旧高取邸玄関前でしばし待つ。邸の中からガイドさんの声が聞こえる。ここは長崎の高島や軍艦島などの炭鉱開発にも尽力したという炭鉱王・高取伊好氏の別宅だそうな。邸内に入るには入館料が必要だが、庭やその他の物を観るのはタダだったので、チョロッと散策した。当時のお風呂や食料・燃料などの備蓄倉庫、地下にはワインセラーもあった。復元されてまるで作り物のような唐津城(実際に造り物だけど)りは、こっちの方が観ていて楽しい。
かみさんが出てくるのを待って、「何処に行きたい?」と聞いたら名護屋城に行きたいという。車を取りに戻り、アッシーは仰せのままに車を走らせる。しかし、その前に腹ごしらえだ。イカで有名な呼子に寄ってイカ飯でも食うことにした。イカはあまり好きではないんだが。
 
人と車でごった返す呼子の細い道を抜けて名護屋城跡に向かう。呼子からは15分ほど。
豊臣秀吉が築いたこの城は、いまでは城壁しか残っていない(下写真)。しかし私にはその方が空想をかき立てられ、興味深く散策できた。建造物が何も無いから城の敷地全体が見渡せる。すごい広さだ。城壁の上からは玄界灘が見下ろせる。呼子大橋は無かったけれど、この景色と同じ景色を秀吉も見ていたのかと思うと感慨深かった。何をどのように考え、この地から朝鮮出兵していったのだろうかとか、この地まで伊達政宗など東北の名だたる武将たちを呼び寄せたことなど、色んな事が想像出来て、時間はアッと今に過ぎていった。
この城壁だけが残る名護屋城跡を見て、軍艦島もいずれはこのような末路をたどるのではなかろうかと思ったのだった。
再び唐津城を左手に見ながら福岡へと向かう。帰りのフライト時間までとても中途半端な時間になってしまった。真っ直ぐ空港に向かうには早すぎるし、かといって何処かゆっくり見て回るような時間もない。能古島あたりならちょっと立ち寄ることも出来るけど、2月のこの季節ではお花畑も寂しい姿を晒していることだろう。ならば、と一度も行ったことの無い志賀島(しかのしま)に行ってみることにした。
唐津市を出てバイパスに入った頃にはかみさん爆睡。志賀島への海ノ中道に入ったので声をかけても起きない。まぁ、アッシーなんで希望の目的地がなければ独りドライブを楽しむ。しかし志賀島、な~んも無かった。

軍艦島も名護屋城も、見られて本当に良かったと思う。色んな事を考えさせられた。それはそれでそれなりに良い旅だったと思うけど、来年からは自分ですべて計画しよう。かみさんが行きたいという所は私には合わん。