コスラエはミクロネシア連邦に属する島です。
私は今までヤップ、チューク、ポンペイそしてマジュロ(この島はミクロネシアに属しませんが)と訪れてきましたが、このコスラエだけは行こうとしませんでした。
その理由はここの島民が皆、敬虔なクリスチャンで日曜日は安息日となるからです。安息日とは何もせずに休む日です。ですからレストランもダイビング・サービス、スーパーマーケットもお休みとなります。これは土日・祭日を利用する旅行者にとっては、非常にデメリットとなります。

この島にリゾート向きなホテルでもあれば、1日はゆっくりする日と諦めることも出来るのですが、事前に調べてみるとそのような宿泊施設も無さそうでした(実際にはありました)。
そんな訳で、私はこのコスラエを訪れようとは思わなかったのです。
ところがひょんな事からこの島で、たった一人で農業支援を始めた人と知り合いました。何度かその方と日本でお会いするうちに、この島に仕事で行くことになったのです。
仕事が第一の目的ではありましたが、しっかりとダイビングを楽しむことも出来ました。そして連日連夜の歓待を受けました。毎晩、酒と驚くほどの量の食べ物と、そして美しい歌をタップリご馳走になりました。

そしてかつてヴァヌアツのタンナ島で出逢ったような、純朴で人懐っこい子供達にこの島でもたくさん出逢いました。天使のような笑顔がいまだに脳裏に焼き付いています。



先の農業支援活動をしている方はこの島のモーゼス・パリックさんという人の家で生活してます。この島の島民のほとんどが自給自足生活をしているそうですが、モーゼスさんは農業、漁業の ほか環境保護関連の仕事やその他、色んなことをやっているそうです。
私たちのための歓迎会には色んな人が集まりました。彼の兄弟もいて、その家族も集うので夜の宴会では総勢何人が
集まったことか…。
テントの中に入らずに草むらの中にも人がいたので、多分80人以上はいたと思われます。

そして私たちのために子豚の丸焼きまで用意してくれていました。
マングローブガニやチキン、ビーフ、サカナに沢山の果物など食べ物はテーブルに満載されていました。子豚の丸焼きは、この島では最高級の食べ物であり、最大級のもてなしなのだそうです。
丸焼きを作るのには約6時間かかるそうで、その間休むことなくグルグルと子豚を回していないとならないそうです。
マングローブガニも大きなお皿に山積みになっていました。
4年前、ポンペイで初めてマングローブガニを食べた時にコスラエから輸入してる…と聞いたことを思い出しました。
早朝に散歩していると、このカニに何度か道ばたで遭遇しました。
この島には他のミクロネシアの島々同様、日本語が堪能な方が結構います。日本統治時代に覚えた人もいるようですが、日本留学で覚えた人もいました。お世話になったモーゼスさんも堪能でした。 また島民は親日家の人が多く、日本の名前を付けた人に何人か会いました。左端の写真の女の子はフクエという名前です。その他にもタダオさんやミシマさんという名前の人にも会いました。



この島では海辺で泳ぐ人の姿を見かけることはありませんでした。海で見かけたのは犬と港で飛び込み遊びをする子供くらいで、大抵の人は川で水浴びをするようです。確かに川の方が冷たくて気持ちが良いし、海水と違ってベタつくことも無いので川の方が良いのでしょう。でも、決してきれいな水ではありません。ちなみにこの島の飲料水は雨水か川の水だそうです。飲料用の川は、他にきれいな水が出ているところから引いているのでしょう。島には小さいながらもスーパーが何軒かあって、そこでペットボトル飲料は購入出来るの飲み水の心配は要りませんでした。
日曜日。この島の教会の一つに出向いてみました。10時前にみな着飾って集まって来ます。女性達はこの日が楽しみのようです。カメラを向けるとみな嬉しそうにポーズを取ってくれました。
この島にはこれといった観光名所がありません。一応、観光スポットといえるレロ遺跡(右写真)にも行ってみましたが、ポンペイのナンマドール遺跡に比べると、見栄えのするものではありませんでした。しかし、この遺跡がナンマドール以前に出来たもので、しかも山の頂上から移転された…などの話を聞くと、興味をそそられました。
丸木橋を渡ると遺跡の城壁が
左は給油中の写真です。ちゃんとしたガソリン・スタンドもあるそうですが、島民はメーターを信用していないそうで、この様に計り売りの方が人気だそうです。
車の台数は結構多くて、タクシー会社もあればレンタカーもあります。タクシーは村から村への移動だと$2ほどで、村の中の移動程度なら$1だそうです。そうそう、この島の通貨は米ドルです。
右写真のようにフロント・ガラスが破損した車やボンネットが凹んでいる車をよく見かけました。ヤシの実の落下によるものだそうです。
この島はフルーツが本当に豊富です。
3年前、マジュロへ向かう時にコスラエ空港でタンジェリン・オレンジを買われた人から数個分けてもらって食べたときに、その見た目(青くて酸っぱそう)とは違って、その爽やかな甘みに驚きました。
今回はタンジェリン・オレンジ以外に下写真の
サワーサップや名前の判らない見た目はリンゴのような果物(右写真、味はボケたリンゴのよう)なども食べました。リンゴのような果物はそれほど美味しくなかったけれど、左のサワーサップはなかなか上品な甘さで私好みの味でした。
今回、私たちは宿泊先をマングローブ林の中に佇む「ツリー・ロッジ」にしました。
ここのレストランはマングローブ林の中の川面に面して建てられていて、とても素敵でした。しかし、残念なことに朝食と昼食のみの提供でディナーはやっていませんでした。

またこのホテルはクレジット・カードが利用できませんでした。
マングローブ林の中のツリーロッジ客室
サッパリした甘さのサワーサップ 見た目はリンゴだけど……
チェックアウトの際に現金のみと言われてビックリしました。たまたま今回は多めに米ドルを持参していたので良かったですが、この島では両替もままならないので行く時には注意が必要です。
この島には6つのホテルがありますが、日本語がOKなのは多分、フェニックス リゾート(右写真)だけでしょう。ロケーションも良いのでお勧めです。
個人的にはコスラエ・ヴィレッジ・エコロッジが良さそうでしたが防蚊対策は必需そうでした。
各ホテルでは一部を除いてダイビング・サービスもやっています。
海に面したフェニックスリゾートの客室。レセプションは道路を挟んで反対側に ダイビングに限らずトローリングやシュノーケリング・ツアー、ピックアップ・サービスも頼めばやってくれると思います。この後にダイビング・ログも書きますが、この島のダイビングは(それ以外の観光も)まだまだ未開発の印象を受けました。海賊バリー・ヘイズが、財宝をこの島の何処かに隠したと言われているそうです。その彼の木製海賊船の沈むポイントもあります。入り組んだ自然の湾が、海賊にとっては格好の隠れ場所だったようです。
きっとバリー・ヘイズ以外の海賊船もこの島の何処かに沈んでいる……、そんな想いを彷彿させる島でした。
マレーム村の教会 コスラエ・ビジター・センター(右の建物)



ダイビング・ログ



☆2月17日 「ワロン・コーラル・ガーデン」

気温:28度 水面温度:29.7度 水底温度:29.5度 透明度:40m 潜行開始:10時22分 浮上時刻:11時12分 潜水時間:61分 平均水深:12.8m 最大水深:18.4m  晴れ

【雑記】島の西端にあたるワロン部落西側の海域にあるポイント。右のマップで7番にあたる(ちなみに右のマップはKosrae Visitors Centerのウェッブより無断借用)。
マレーム村の南にある港か出発して下の写真のボートで約20分ほどの距離だった。
この日は二つあるブイの北側のプイより潜行。ダイバーが少ないためか、サンゴが全然傷ついていない。
☆2月17日 「ヒロシポイント」

気温:29度 水面温度:29.7度 水底温度:29.7度 透明度:25m 潜行開始:12時18分 浮上時刻:13時11分 潜水時間:53分 平均水深:12.6m 最大水深:18.3m  晴れ

【雑記】上のマップで4番。
ポイント名の“ヒロシ”はコスラエの前・州知事の名前だそうな。前・州知事の家の前なのでこのポイント名になったそうです。それにしてもポイントの名前が私と同じでビックリ。しかもその前・州知事が今回の訪問に至った仕事先窓口の方のお父さんだと聞いて、再度ビックリ! ここもサンゴが綺麗だった。
☆2月19日 「ワロン・コーラル・ガーデン」

気温:28度 水面温度:29.6度 水底温度:29.5度 透明度:30m 潜行開始:10時06分 浮上時刻:11時05分 潜水時間:59分 平均水深:14.5m 最大水深:22.3m  晴れ時々曇り

【雑記】
日曜日を挟んで再度同じポイントへ。但し潜行ポイントが違った。
潮の流れが激しい場所があって、この日はバラクーダ、ワフー、ギンガメアジの群れとトビエイに遭遇。特にギンガメアジは綺麗なトルネードを披露してくれた。距離が離れていて良い写真が撮れなかったのが残念。
クリックするとシチセンチョウチョウウオの拡大画像が見られます
☆2月19日 「ヒロシポイント」

気温:28度 水面温度:29.8度 水底温度:29.7度 透明度:15〜20m 潜行開始:12時15分 浮上時刻:13時09分 潜水時間:54分 平均水深:13.7m 最大水深:21.9m  晴れ時々曇り

【雑記】東側のブイより潜行。
今回はコスラエ・ツリー・ロッジが経営する「パシフィック・アイランド・ダイバーズ」を利用したけれど、あまりポイントの開拓には力を入れて無さそうだった。この季節は貿易風の関係で島の南側しか潜れないそうだけれど、出来ればもっと他のポイントにも潜らせて欲しかったなぁ。
セジロクマノミ
トルネードしながら遠ざかって行ったバラクーダの群れ



【後記】

この様な海外旅行は初めての体験だった。
現地に行ってから、そこで働く日本人と知り合って何処かに行ったことは何度かあるけれど、日本で知り合った現地で働く日本人を頼って海外へ旅したのは始めてのことだ。
もしもその人と出逢わなければ、きっと私はコスラエに行くことも無かっただろうし、この様な歓待を受けて島の多くの人々と知り合えることも無かっただろう。

帰国して、もしも現地の農業支援をしているその人を頼らずに訪問していたら、どうなっていただろうかと考えてみた。
きっと今回知り得たことの半分も観ず知らずで、つまらない旅になっていたのではなかろうか。何せこの島は、日本に向けての情報が少なすぎる。


この島の情報の少なさが、私にとっては魅力でもあったけれど、この島にとってはそういう訳にはいかない。
海賊バリー・ヘイズの財宝探しや旧・日本軍が利用していたであろう銃器などが、未だに発見されていないというのもロマンがあって、私は好きだ。

これからも日本人が訪れることだろうけど、私のこのページが、少しでもこの島の情報発信源になれれば幸いなのだが…。

もしも、このページをコスラエ旅行の参考にされるような人がいて、ここで紹介したこと以外で知りたいことがあれば、メールを送って頂ければ少しはお答えできるかもしれません。どうぞご遠慮なく。
          
2007年2月25日、記