小笠原に行きたいと思い始めたのは、かなり昔のことで、かれこれ20年ほど前になる。ところが渡航方法などを調べると、当時の私には渡航するのに必要な日数の休暇を取るのは不可能に近く、諦めたのだった。なにせ最短で行っても6日間の休みが必要なのだから。

 
  その後、連休などを絡めれば一週間程度の休みは取れる身分にはなったものの、台風で帰れなくなったら困るだのチケットが入手できないなどと計画はどんどん先延ばしになっていた。そして2014年11月。ようやっと小笠原の地を踏むことが出来たのだった。 

東京都に属する小笠原までは1000㎞の距離があって、渡航方法は今のところ船のみ。頼りのおがさわら丸に乗り込んでも小笠原・父島までは約26時間かかる。東京都民である私にとっても、小笠原は外国のように遠い。同じ1000㎞の距離でも羽田から福岡まではわずか2時間ほどだ。片道26時間という所要時間は大変だが、まだ船なので助かる。これが飛行機だったら……。
船旅も長時間となると、どこに居座るかが問題だ。学生時代なら気にもしないどころか、むしろ喜んで2等船室を選ぶだろうが、さすがに平均寿命の半分以上を費やしてしまった夫婦には少々辛いものがある。なので清水の舞台から落下した気分で個室の一等船室にした。一等以上になると、海外旅行が充分出来るほどの金額なのだが、長い船旅を思えば飛行機のビジネスクラス利用するより割安じゃないか! と考えることにした。
 
実際、乗船するとすぐに一等船室入り口のロビーには人が座っていた。航海中、同じ人たちが酒瓶持参ですっといたから、きっと二等船室では酒盛りも気を遣うのだろうと思う。私としてはデッキに出ることが出来なくなったので、そのロビーの窓から外を眺めたかったから(窓の無い船室だった)、正直言って迷惑ではあったのだが。
航路は三宅島や八丈島、青ヶ島やベヨネーズ列岩のそばを通っていくので私はそれらの島々や夕日、朝日を撮影するのも楽しみしていた。しかし海況は荒れ甲板に出ることは出来なくなり、雲がかかって夕日も朝日も見えなかった。一等船室にはテレビもあるのだけれど、東京湾を出ると衛星放送かDVDを観ることになる。揺れる船では衛星放送は頻繁に途切れるし、DVDも観たいものは無かった。そうなると本を読んでいるか酒飲んで寝るしかない。
窓の無いことを除けば、結果的に一等船室にして大正解だった。次回のチャンスがあるなら今度は窓のある特一等か4人部屋の一等船室にしよう。
26時間の船旅中、ほとんど眠りっぱなしだった。芝浦から出港し、しばらくは甲板から羽田に離発着する飛行機を見たり、浦賀水道に残る第一海堡を見たりと東京湾内を航行中は波も無く「これから小笠原だ!」と気分も高揚したけど、湾を出ると途端に船は大きく揺れだした。しかも八丈島近辺までは届くと言われていた携帯電話の電波は、docomoはなんとか繋がるもののauはすぐに繋がらなくなった。スマホはauの方なのだ。私はスマホ・ゲーマーではないので、ネットワークに繋がらなければスマホは単なるデータベースと化す。あと20数時間をどうやって過ごそうかと心配になったけど、結局寝ていた。揺れる乗り物に乗ると睡魔が押し寄せてくる。船は私にとって一番のゆりかごだ。
東京からの出発は、通常竹芝桟橋発午前10時。父島到着は翌日の午前11時過ぎとなる(ちなみに帰路は父島発午後2時竹芝着は翌日の午後3時過ぎ)。よって最低3食は船内で食すことになる。スナックもレストランもあって飲食に困ることはない。売店もあってカップラーメンやインスタントコーヒーも売られている。お湯のサーバーもあって便利だ。もっとも揺れる船内でラーメン運ぶのはスリリングでもあるけれど(レストランもスナックもセルフサービス)。
シャワールームもあって、私は利用しなかったけれど、使ったかみさん曰く「綺麗で快適だった」とか。ず~っと昔、北海道へ向かうフェリーにはお風呂もあった。その時は利用してみたけど、船の揺れで湯船がチャップン、チャップンしてお湯が湯船に半分くらいしかなかった記憶がある。
翌日のお昼前、11時過ぎに父島の二見港に無事到着した。下船すると島内とダイビングのガイドをお願いしていたボニンウェーブの柴山さん、そして今夜から3泊お世話になる宿泊先アクアのご夫妻が出迎えてくれた。
いったん宿にチェックインして昼食をとりに町に出る。町と行っても二見港から父島の一番大きな集落である西町までは歩いても10分ほど。町の端から端まで歩いても30分とはかからないだろう。アクアの向かいにある中華料理店・海遊で“絶品!”というタンメンとビールに餃子を注文した。で、お味の方は………。フツーでした。
宿泊したアクアはワンちゃん同泊可能なお宿。一階に一部屋だけある101号室がそのワンちゃんと泊まれる部屋なのだが、私たちはその部屋をリクエストさせて頂いた。1階の方が機材の搬入が楽だから。
腹を満たした後は、柴山さんに父島の主だった場所に連れて行ってもらった。ちょっとした水族館風の水産センター、ウミガメが飼われている海洋センター、長崎展望台、国立天文台、笠山、JAXAのロケット追跡所、そして夕陽のメッカで運がよければクジラの姿も見られるウェザーステーション。夕陽がイマイチだったので写真はここには載せないけれど景色がとても良い場所で、もしも足(車かバイク)があったら毎夕来ていたと思う。
私たちが到着した11月1日から、大神山神社 例大祭が始まった。島相撲も行われていて、子供から大人まで、力の入ったガチンコ相撲だった。この祭りのために硫黄島からも自衛隊員が参加していた。相撲は勝抜戦だそうだが、例年自衛隊員ではなく島民が優勝するそうだ。
都会みたいな娯楽はこの島にはほとんど無い。だからか子供も大人もとても楽しそうだった。
相撲会場でもある大神山神社の境内では、土俵前が人でいっぱいになるためモニターまで出されていて、缶ビール片手に観戦する人たちで賑わっていた。
ナイトツアーにも連れて行ってもらった。ツアーでは天然記念物のオガサワラオオコウモリやオオヤドカリ、グリーンぺぺと呼ばれる夜光茸などを探した。
残念ながらオオコウモリは見つけられなかったけど、グリーンぺぺの綺麗な光りは見ることが出来た(右写真)。ちょうど新月で月も出ていなかったから、星空を観察するにも最高のタイミングだったのに、早朝(3時ころ)に起きるつもりがすっかり酒に酔いつぶれて寝過ごしてしまった。しかしこの時期では天の川は見えないから、マッいっか…なのだった。街灯も少ないこの地では、きっと夏に来たら満天の星空が堪能出来るに違いない。
 
【ダイビング】 
11月2日

1本目 西島・東磯 気温:27度 水温:26.5度 最大水深:23.0㍍ 平均水深:11.1㍍ 透明度:25㍍ 快晴、流れナシ、微風、波少し

2本目 閂ロック 気温:28度 水温:25.9度 最大水深:31.4㍍ 平均水深:15.5㍍ 透明度:40㍍ 快晴、流れナシ、微風、波少し

3本目 兄島・丸山崎 気温:28度 水温:26.3度 最大水深:17.1㍍ 平均水深:10.8㍍ 透明度:30㍍ 快晴、流れナシ、微風、波ナシ
11月3日

1本目 バラ沈 気温:28度 水温:26.9度 最大水深:18.6㍍ 平均水深:13.4㍍ 透明度:30㍍ 快晴、流れナシ、微風、波少し

2本目 鹿浜 気温:28度 水温:26.1度 最大水深:23..0㍍ 平均水深:15.6㍍ 透明度:35㍍ 快晴、流れ少し、風アリ、波やや高め

3本目 州崎沈船 気温:29度 水温:27.2度 最大水深:23.1㍍ 平均水深:15.5㍍ 透明度:25㍍ 快晴、流れナシ、微風、波少し
 
繁忙期はピストン輸送もあるらしいけど、通常おがさわら丸は父島二見港に3日停泊する。なのでおがさらわ丸の往復に合わせれば、島で3泊4日滞在することが出来る。しかしながらこの日数で小笠原諸島を巡るには日が足りない。
一度おがさわら丸を見送って、次の船便で戻ることにすれば島に10泊11日滞在することになる。そうすれば母島や硫黄島などその他の島々にも行けるし(硫黄島は上陸できないけど)おがさわら丸の帰航中は観光客も少なくなるから、島内での自由度はグンと高くなる。たまたまダイビングショップがダイビング中に水面休息を兼ねて南島に連れて行ってくれたけど、人の少ないときにこの島に渡れば最高だろう。ゆっくり散策し絶景を独り占めできる。私が南島に渡ったときはウェットスーツ(5㍉!)着用してたので、暑くて熱くて散策どころじゃなかったけど。
南島や母島、硫黄島への観光は観光センターに行けば予約が出来る。イルカやクジラのウォッチングツアーやシュノーケリングツアーなど、遊ぶには事欠かない。まぁ、海況が安定していれば、の前提付きではあるけれど。私も当初、ケータへの遠征を希望したのだけれどこの季節では無理とのことだった。しかしケータ行きの一番の目的がシロワニに会うことだったので、それが鹿浜で実現できたので本当に嬉しかった。

ダイビングのことを少し記しておくと、小笠原の父島周辺だけでも40以上ものポイントがある。私はたった6本しか潜れなかったけれど、その6つのポイントの、そのどれもが特徴的で楽しかった。一番素晴らしかったのは何と言ってもその透明度の凄さではあるのだけれど。
宿泊したアクアのことを付記しておくと、部屋は使い勝手が良くそして料理も美味しかった。出会った島の人も「あの宿は料理が美味しいでしょう」と何人かから耳にしたから、島内でも料理が美味しいと有名のようだ。

小笠原に行くのを11月にしたのは、運が良ければクジラにも会えるかもと思ったのと、台風を避けたかったから。文化の日の連休を利用したのだけど、やはり鯨の時期には少々早かったようだ(その数日後に見られたらしいが)。
台風で予定通り戻れなくなることも心配して11月にしたのだけれど、帰航日前日には台風が発生した。しかも北上せずに小笠原に向かってくるという予報。間一髪で帰れたけれど、あと1日早く発生していたら、きっとしばらく戻れなかったかもしれない。台風接近中の帰航だったから、帰りは大揺れだった。
小笠原からの出港の際に、盛大なお見送りをしてくれるのは知っていたしテレビで見たこともあるけれど、実際に見送られる立場になるとそれはそれは感動的だった。船での見送りは電車のそれとは違って時間がかかるから、私は正直あまり好きではなかったのだけれど、あのような明るいお見送りは私の認識を新たにしてくれた。「さようなら」ではなくて、また来てね、の気持ちから「いってらっしゃい」と見送られるのも素晴らしいと思った。
別に小笠原に限らず、私たちはどんな時でもどんな人にでも「行ってらっしゃい」と見送る方が素敵だろう。見送りの様子を動画で撮ったので良かったら見てください。上のリンクと下の画像(2点)もクリックするとその時の様子が見られます。
【後記】
島で走る車のナンバーはみな品川ナンバーだった。我が家と同じ東京都なのだからなんの不思議もないのだけれど、この地に来るまでの時間を思うと不思議でならなかった。同じ東京でも沖縄以西に行くより時間も金もかかる。それだからこそ、海も山も自然は手つかず状態に近い。
クジラにも会いたかったし、イルカには会えたけど出来れば一緒に泳ぎたかった。釣りもしたかったし、翼を広げると1㍍近くにもなるというオオコウモリも見てみたかった。
 
なんでも兄島に飛行場建設の話が上がってるそうな。観光業が一番の収益だろうから、飛行場が出来れば島の人々にとっては緊急時の医療問題にしても良いことだろうと思う。
しかしこの島固有の生き物を守ることを考えれば、もしも更に多くの人が訪れればよくない影響をおよぼすことは間違いない。この渡航中、中国人の赤サンゴ密漁船が大挙して来ていたけれど、一度失った自然を再生させるには気の遠くなるような時間が必要だ。飛行場が出来ることは良い事なのか悪い事なのか。私にはわからない。