ベトナム・ハノイへ3泊4日の視察旅行に行ってきました。今回はあくまでもおシゴトです! f(^_^;) 視察先はタンロン工業団地(Thang Long Industrial Park)で、ハノイの北北西16qにあります。とても広大な工業用施設です。 現地企業の視察が目的でありますから、けっして観光旅行じゃありませんから(???)、情報量も少ないしお見せ出来るような写真も少ないのでアップするのは止めようかとも思ったのだけれど、私にとっては初めて訪れた国でもあるのでやっぱり自分の記録として残しておきたいのでアップすることにしました(言い訳が長い!)。 とは言っても先ほど書いたように画像素材も良いものを撮れなかったし、訪問地も少なかったので、今回はブログ調にしてみることにしました。 (2011年3月記) |
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上の写真がタンロン工業団地です。敷地内の道路ですが向こう側が見えません(>_<) とてつもなく広い敷地(約274ヘクタール)に67もの企業(工場)が入っています。274ヘクタールといってもピンとこないですよね? 東京ディズニーランドが6個近く入る広さです! ここで3社の日系企業を訪問させて頂いたのだけど、そっちの話しは割愛します。エッ?仕事してないんじゃないか、ですって? いえいえ、そんなことは・・・、ですから・・・、まぁ細かいことは抜きにしましょう。 工場内には若いベトナム人男女が働いていました。もともと日本に比べて物価が安いから労働賃金も安いわけで、それゆえに多くの製造業がこの地に進出するわけです。でも、その低賃金の労働力は、いずれ経済の発達と共に失われていくでしょう。その時はどうするのでしょう? また、低賃金労働力が得られる地を求めて工場は移転していくのでしょうか? 最後は全てロボット任せになるんでしょうか? まぁ、お堅い話しは止めにましょう。 |
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タンロン工業団地を訪問する前に、ハノイの銀行支店主催のセミナーがありました。そこでベトナムの概要を教えてもらいました。先ほど書いたように交通道徳はひどいものです。こちらは右側通行ですが逆走はするし、信号も見えない(無視!)ようです(笑)。そんなですから、毎年交通事故死者は12000人を超えているそうです。ベトナムの総人口は約8600万人といいますから、人口約1億3000万人の日本(年間事故死者数=約5000人)と比べると異常に多いです。 国土は日本の88%ほどで、ちょうど九州を除いたくらいの面積だそうです。ベトナムをそのまま少し右に傾けてやると、何となく九州と四国のない日本のようでもあります。80%が仏教徒だそうです。成人識字率90%というのも、日本企業のこの地への進出を助けているのかもしれません。 ハノイの宿泊先はニッコー・ハノイでした。 初日のセミナーを終えてホテルにチェックインし、夕食後にホテル周辺を散策してみようと外に出てみました。すると突然群衆が湧いてきました。 |
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いったいこれだけの人がどこから出てきたのかと探したら、ホテルの目の前にサーカス小屋があってそこから出てきてます。サーカスが終わったのですね。終わったんなら料金も要らんだろうと、ズカズカと中に入ってみました。こぢんまりとしたサーカス小屋でした。 | ||||||||||||||||
このホテルの私の宿泊していた部屋は10階にあったのですが、夜半から朝方までずっと、車やオートバイのクラクションそして列車の警笛の音が部屋まで響いていました。部屋の窓から道路を見下ろせば、何時だろうと多くのオートバイや車が走ってます。また、このホテルから5分ほど歩いたところにハノイ駅があるのですが、列車は駅に近づくたびに警笛を鳴らします。深夜の2時過ぎ、そして朝の4時過ぎ。そのたびに目が覚めてしまいました。二日目以降は汽笛に慣れたのか、はたまた列車の運行が無かったのか、目覚めることなく朝までグッスリ出来ましたが・・・(疲れ?飲み過ぎ?)。 | ||||||||||||||||
翌朝、視察へ出発する前に周辺を歩いてみようと6時に起きました。でも、外はまだ真っ暗。しかたないので先に簡単な朝食を済ませました。 ホテルを出て北に向かって歩きました。ハノイ駅を見てみたかったのです。しかし歩道は狭く(無いに等しい?)、相も変わらず道路いっぱいにオートバイが迫ってきます。雨も降っていて散策しにくいったらありゃしないです。 |
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上がハノイ駅です。中には立派な待合室も、売店もあります。 駅前をプラプラしてると竹で編んだかごを頭に載せて歩くおばちゃんに会いました。私は竹籠の中にはきっと鶏なんかが入れられてると想像してたのですが、中身はフランスパンでした。お値段は1個2000ドン(VND)なり。日本円にして約8円です! ハノイ駅から今度は東に向かって歩きました。ホアロー収容所を見て次に大教会を見ようと探すのですが、なかなか見つかりません。そのうちにホテル出発の時間が迫ってきて、慌ててタクシーを拾いホテルに戻ったのでした。ちなみにハノイ市内のタクシーはみなメーター・タクシーです。この時に乗ったタクシー運転手は純朴な青年でした。ホテルに着いて支払いしようと大きな紙幣(500,000ドン)を出すと、おつりが無いと済まなそうに言います。小銭を掻き集めて支払いました。私は彼のような純朴なドライバーが多いのではないかと思いますが、中には白タクや、わざと遠回りしたりおつりをごまかす(ドンの偽札で返す)運転手もいるらしいです。 |
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ベトナムはかなり良質の石炭が採れるそうです。良質の石炭は煙の出も少ないし、均一な火力を得ることが出来ます。その石炭採掘で有名な町を通り抜けました。 道路一面、真っ黒です! 町中が黒く煤けたようになってました。店先で掃除してるおばさんの姿を見かけたけど、これじゃあいくら掃除してもおっつかないだろうと思う。この日は雨だったからまだ良かったけど、もしもピーカン照りだったら石炭の粉塵が凄かったでしょう。そういえば雨模様ってのを抜きにしても、空は何とも言えない色でした。まるで水墨画の町のようでした。 そしてこの町を抜けるとハロン湾に到着です。 |
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世界遺産のハロン湾です。 私はこのハロン湾に中国の桂林をイメージしていました(行ったことは無いんだけど^^;)。壮大な水墨画のような景色をイメージしていたのです。でも正直、イメージが先行し過ぎてました。想像してたほどスケール、大きくなったです。何となくフィリピンのエルニドを彷彿とさせました。 しかし偉そうに書いてますが、実はワタシ、あまりよく見てませんでした。ハロン湾周遊船に乗り込むと、まず最初に歓迎してくれるのが果物売りのお姉さんや可愛い子どもたちです。いろいろな果物を積んだ小さな舟からヒョイッとこちらの船に飛び乗ってきます。お婆ちゃんやお父ちゃん、お母ちゃんは船漕ぎ役です。 |
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こんな小さな可愛い娘たちが次から次にと、こちらの船にフルーツを抱えて飛び乗ってくるのです。 世界中の児童労働数は2億人を超えているそうですが、その中で一番多いのがこのベトナムだと聞きました。むげに追い払うことも出来ず、この果物売りとの攻防でまず景色を見てるゆとりがありません。 彼女たちは果物を抱えながら、必ず「2ドル! 2ドル!」と言います。ベトナム通貨のドン(VND)じゃないんですね。きっと旅行者は換金が面倒なドンよりドルを持ってることの方が多いからでしょう。 100円が25,360VND(2011年3月時点)ですから、2$というとだいたい40,000VNDほどなんですが、同行した方が間違えて200,000VND(約800円)をあげちゃいました。いや〜、女の子、大喜びです! これでもか、これでもか、というほどのマンゴーを置いてってくれました。とても美味しかったです。もしも日本で同じ量を買えば2万円はするでしょう。子供だからか、ボったくるということがないのでしょうね。それともこれがベトナム人気質なんでしょうか。 単位が大きいと計算、難しいんですよね。私もかつてインドネシアで同様のチョンボしたことあります。 同行氏の大盤振る舞いで果物売りとの攻防も終わったのですが、今度は船上ランチ・タイムです。 そこに出てくるのが茹でた海老やカニなので、殻剥きをしなくてはなりません。またまた景色を眺めてるゆとりがありません。同行氏たちとの会話も途絶えがちです。皆ひたすら黙々と殻剥きです(笑)。この頃にはビールもワインも結構な量がお腹に入ってますから、トイレに行く回数も頻繁になります。トイレからは当然ですが景色は見えません。トイレに往復しカニにむしゃぶりついている間に鍾乳洞入り口に到着し、いったん下船です。 景色、まともに見てません(^^;) よく見もしないでスケールが小さいなんて、なに言ってんでしょうか?(アッ、わたしか!) |
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上の写真が鍾乳洞への入り口です。この後、けっこう急な階段を昇っていきます。段数は大したこと無いのですが、お酒で酔っぱらってる私は息切れしました。 この鍾乳洞は規模は大したことないので、ゆっくり見て回っても30分ほどで終了です。でも、鍾乳石は立派で見事でした。個人的には色の付いた照明は止めて欲しかったです(苦笑)。 |
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「ベトナム」って耳にするたびに、私はシルベスタ・スタローンの『ランボー・最後の戦場』が脳裏に浮かんでいたのだけど、あれってベトナムの話じゃなくてミャンマーが舞台だったんだよね。スタローン演じるジョン・ランボーがベトナム帰還兵だったという設定なだけで、ベトナムのシーンなんて無いんだけど、どうしてもあの映画に出てきたジャングルとベトナムが重なってしまってました。 しかし、そんなジャングルが見られるわけもなく(奥地に行けばあるでしょうが)、バスでの移動中は、なんとも懐かしい風景が広がっていました。水田やそれを牛(水牛)で耕す農夫の姿。そして農村の片隅にあったお墓も、形こそ違っていたけれど日本のそれととてもよく似ていました。 ベトナム人にとって1番に欲しいものが家だそうです。いわゆる一戸建てというやつですね。その次がお嫁さん。ベトナム人は家族をとても大切にするそうです。そして3番目が水牛だそうです。水田を耕すには必需品だからですね。 同じ仏教徒なんだから似ていて当然なんだけど、日本人にはとても懐かしい原風景がそこかしこにありました。これで私の脳裏に巣くっていたベトナム風景=ランボーっていう亡霊は消え去ってくれそうです。 |
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ベトナムの人々は、なんか親近感を覚えるのですね。町の裏通りでベトナムの定番料理ホーをつくってるおばちゃんに話しかけたら言葉(英語)が通じないのか、息子らしき少年を指さし何か言ってます。「あたしゃワカランから、この子に聞きな」と言ってるようでした。で、私がその少年の方を見ると少年は首を横に振りながらはにかんでいました。その笑顔がとてもいい。もう少しベトナムの人たちとお話ししてみたかったです。特に可愛い子供たちや綺麗なお姉さんたちと(笑)。 |
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私はこのベトナム料理・ホーが好きで、日本にあるベトナム料理店へ時々食べに行きます。本場のこちらでも食べましたがちょっと薄味でした。日本でのそれは、日本人向けに味つけされているからでしょうか。日本では嫌いな人も多いパクチーやナンプラー(魚醤)も私は好きなので、たっぷり入れて欲しかったのですが少ししか入っていません。スープが薄味なので少な目にしてるのかもしれません。 下の写真はハノイ市内にあるホーチミン廊です。バスの車窓から撮りました。近くまで行ってみたかったです。真ん中の四角いちょっと高い建物に、いまでも昔の姿のまま眠られているそうです。 |
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ベトナムはかつてフランス領だったこともあってか、ハノイ市内ではおしゃれなお店がけっこうありました。GUCCIの店舗も見かけました。個人的には三晩ともベトナム料理でも良かったのですが、初日は中華、二日目にフランス料理、最終日にベトナム料理を戴きました。どれも美味しかったです。 嬉しいことにビールはとても安いです(350_g缶で約50円〜90円)。でもワインはどこのお店でもやたら高かったです。しかもさほど美味しくなったし・・・。フランスとの関係はいまだに密接と思うんですが、保管が上手く出来ないのでしょうか。 本当はもっとハノイ市内を散策してホー・チ・ミン廊初め、ホム市場、ホアンキエム湖周辺、旧市街なども見てまわりたかったのですが、今回はあくまでも仕事なので、その時間がなかったのが残念でありました。 |
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ベトナムの労働賃金は、毎年10%くらいずつ上がっているそうです。それでも私が訪れたこの2011年の彼らの平均賃金は、日本円にして1万円ほどでした。大きなフランスパンが8円ほど、ビールも50円程度で飲めますから、それでも生活は成り立つのでしょうが、厳しいと思うんですよね。だから子供すら働かなくてはならない。どうしようもないこととは思うのですが、なんとも理不尽さを感じてしまうのは私だけでは無いと思います。 訪問させて頂いた日系企業は、自分の携わる仕事とは直接的には関しない業種ばかりでしたが、私はこの地を訪問するきっかけを戴き感謝しています。見なければ、そこに接しなければ知り得ないことですから。私はもともと「一度行ったところは再訪しない」主義ではありますが、このベトナムの地を再訪することは無いだろうと感じています。決して訪れたことでベトナムが嫌いになったわけではありません。むしろベトナムの人々を好きになったのですが・・・。 このベトナム訪問から帰った週末の3月11日午後2時45分に東北地方及び関東地方を巨大な地震が襲いました。これを記していいる3月19日現在、死者および行方不明者数は1万8000人を超えています。そして避難生活を強いられている人々は39万人になろうとしています。一刻も早く復旧することと、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。 |