戦争の傷跡が未だに残る島・チューク。帰国の途に着く日の朝、まるで未だに戦争が続き、爆撃で空と海とが燃えているかのような朝焼けに見送られた。「アノ戦争ヲ、ワスレルナ!」と言われているようだった。
かつて日本が植民地化していた時代は、デュブロン島が中心だったようだが、現在チュークの首都はモエン島にある。 空港から車で5分ほど走った辺りが町の中心地だ。車の台数も多いし、雑然としてはいるけど、ビルもある。
空港に着いて、最初に気が付いたのは車にナンバー・プレートが無いことだった。20数年前に訪れた与那国島を思い出した。聞けば政府がプレートを発行しないとのこと。

チュークが昔のトラック諸島のことだというのは、昨年、ポンペイに行った際に知った。しかし、今でも現地では“トラック”と言う人の方が多い様に感じた。航空チケットにも“TRUK”と印字されていた。それにしても道路がボロボロだ。行き交う車は道路の穴を避けながら走る。だから、スピードが出せない。空港からホテルまで、わずか4〜5`の距離を約15分かけて到着した。でも、これなら事故の心配も少ないだろう。
ホテルそばの道などは、完全に水没(左写真)していた。ナンバープレートといい、この道路事情といい、チュークの政府はどうも、お仕事をする気がないらしい。それでも私利私欲に走らないだけ(多分?)日本の政府よりましかもしれない。その日本の政府が援助を持ちかけても、ほとんど受け入れようともしないそうだ。
町中では学校や郵便局なども見かけた。道の両側には食料品を売る店(右上写真)も多く、主食のタロイモなどをバナナの葉でくるんで売っていた。
ちなみにこのタロイモ、現地の人は腐って酸っぱくなったり、カビが生えているものを好むそうだ。日本人の納豆みたいな感覚なのかもしれない。
海底にいまも多くの船や飛行機が眠るこのトラック諸島に、私はレック・ダイビング(沈潜ダイブ)が目的で立ち寄ったのだけれど、島の至る所で戦時を彷彿とさせるものを見かける。旧式の日本軍自動小銃やヘルメットなどが、何気なく壁にディスプレイされていたり、ホテルのゲートには錘用として機関銃が使われていた(右写真)。

ポンペイもそうだったけれど、ここチュークも宿泊施設内以外に飲食出来る店は極端に少ない。私たちは日本人の大矢勇さんが経営する「宝島」(下写真)に1晩出向いた。ここはメインはレストランだが、2階を宿泊施設として解放している。

画像が宝島のHPにリンクしています
大矢さんは、この地に渡って30年になるそうだ。元々話し好きのようで、色々なことを話してくれた。もしも、チュークに行かれるなら、初日にここで食事をして情報を収集することをお勧めする。ちょっと値段は高めだけれど(^_^;;;
モエン島では車での移動がほとんどなので、車は必需品だそうだ。
あちこちで中古の日本車を見かけた。ちなみに値段は15〜20万円ほどで売買されているそうだが、故障車が多くて困ると言っていた。日本でだって部品が無さそうな、修理に困りそうなかなり年式の古い車も見かけたけれど、もしも故障したら修理できるのかしら? 多分、そのまま雨ざらしだろうなぁ。廃車処分場などきっと無いだろうから。 確かに、家の庭先に錆びて朽ち果てた車を、そこら中に見かけた。
かつてフィリッピンのボホールで、貧困の凄さを目の当たりにしたけれど、この島も同様だった。貧しい島国だけれど、その貧しさの中にも貧富の差があって、コンクリート造りの家もあれば、まるでその辺の板きれを拾ってきて建てたような家もあちこちにある。
しかもどの家庭も十数人が一緒に暮らす大家族だという。
風や雨が入り込むだろう小さな家の中で、いったいどんな生活をしているのかと想像するといたたまれなってくる。
それでもフィリッピン南部の貧困さと違って、救われるのは子供達が皆、明るく、本当に屈託無くいてくれることだ。道を歩いていると誰に習ったのか、日本語で「コンチハ!」と声をかけてくる。きっと日本の植民地時代に日本語を習った彼ら彼女らのお爺ちゃんやお婆ちゃんに教わったのだろう。
この子供達の明るさが無かったら、この島は滞在するには重過ぎる。それでなくとも海中の軍艦の残骸や別ページで紹介しているデュブロン島には、考えさせられる事が私たちには多すぎるから。

神国丸 9月22日(水曜日)


気温:33度  水面温度:30度  水底温度:30度 
透明度:12〜15m 
潜行開始:9時35分 浮上時刻:10時13分 (51分) 
平均水深:16.6m 最大水深:27.6m  快晴



【神国丸】
川崎造船所で昭和15年に建造されたタンカー(油槽船)。駆逐艦と併走して航行しながら給油を行ったそうだ。86名の船員の方々が、ここで一緒に海中へと没したという。黙祷。
チュークではモエン島の西の海底に眠っています。船室の備品がデッキに陳列されていました。かつてはキャビン内に遺骨が残っていたそうですが、既に荼毘に付されています。しかし、頭蓋骨のいくつかはアメリカ人が持って返り、色を塗られて飾り物にされたりしてしまったたそうです。
平安丸 9月22日(水曜日)


気温:33度  水面温度:30度  水底温度:30度 
透明度:12〜15m 
潜行開始:14時40分 浮上時刻:15時19分 (39分) 
平均水深:13.6m 最大水深:23.0m  快晴



【平安丸】
潜水艦に水や食糧,医薬品,弾薬などを補給するために建造された潜水母艦。
デュブロン島の西に沈んでいる。映画「タイタニック」のオープニング部分のシーンで、この船とチュークでは一番ポピュラーな富士川丸が使用されたそうだ。