1982年3月、私たちはパラオにいた。実に27年前のことだ。 私は自分の信条として一度訪れた場所、特に素晴らしかった場所には再訪しない事にしていた。折角の想い出を壊したくないからだ。 だから、今回の旅行も最初は乗り気ではなかったのだけれど、かみさんがペリリュー・ステイだと言うので、まっ、だったら良いかな、とあまり乗り気では無く出向いたのだった。 そして27年後の2009年2月11日18時20分。私たちは27年ぶりにパラオ・コロールに降り立った。 当たり前のことではあるけれど、そこはまる初めて来たような場所だった。明るい空港ロビー、大勢の人々、空港を出れば車の騒音が喧しい。何台ものバスが着け待ちしていた。 27年前のこの空港は、掘っ建て小屋がポツネンと建っているだけで、滑走路も砂利道。なので万が一に備えて旅客機の着陸と同時に消防車が滑走路を飛行機と併走していた。無事に着陸すると、掘っ建て小屋の中では机が一つ用意されて入国審査が行われた。 下の写真が当時の空港で撮った写真。この時、パラオに降りた日本人は私たち含めてたった6人だった。 27年前、私たちがパラオに滞在している最中に、この国は王国として独立した。 あの日、町中は(当時は村か)歓喜にわく島民たちが、まだ舗装されていなかった道路上に古タイヤを燃やして一晩中騒いでいた。その道路もいまはしっかり舗装され、中央分離帯もあり、今にも沈みそうだった橋も立派になっていた。 燃える古タイヤで照らされていた道路は、今ではレストランやホテル、ストアーなどのケバケバしいいネオンで輝いている。初日の宿泊ホテル、ウェスト・プラザ・マラカルに向かいながら、まるで浦島太郎になったような気分だった。変貌していない方がおかしいのだと頭では理解しているのだけれど、自分の感性が追いついていかない。
昔の美人だけを載せてるとかみさんに怒られそうなので、昔の美男も載せとこう、恥を承知で。 流石に27年前に写したプリント写真なんで劣化してるけど、背景の海は息を飲むようなエメラルド・グリーンだった。場所はロックアイランドの中の無人島。ハネムーンだったら無人島を二人で独占したら…と勧められてやってきたのだった。 ご覧のごとく、大きなシャコ貝がシュノーケリングで簡単に捕れた。3〜5bほどの水深の砂地海底のあちこちに、ゴロゴロとシャコ貝が転がっていた。もっと大きなシャコ貝もあったのだけれど、重くてボートに上げられず、私が持っているのもボートクルーに手伝って貰って引き上げたものだ。結局、この一つだけをさばいて、貝柱だけを持参した醤油とワサビで食べたけれど、身が生ぬるくてあまり美味しくなかった記憶がある。 こんな素晴らしい自然があったのです、当時は。 さて27年後、現在のパラオの海はどうなっているのだろう? 回顧録はここまでにして、現代に戻ることにしよう。とは言っても、27年前の回顧をどうしても交えながらになるだろうけど。
しかし、天気ばかりは文句も言えない。まずは腹ごしらえに昨夜のレストランに出向く。早朝だというのに昨夜のウェイトレスがもう働いてる。「グッド・モーニング! ジャッキー!」のご挨拶。「昨夜遅くまで働いていたのに、こんな朝から仕事かい? 偉いね」と返したらはにかんでいた。トーストはあまり好きでないので中国粥を注文。メッチャ熱かったけど、これも美味しかった。 9時30分。ロビーで待っていると土砂降りの雨の中、合羽を着た青年がやって来た。マサくんという愛媛から来て働いている青年だった。 「ペリリュー行けば晴れるかな?」の私の問いに、「向こうを出るときはここより土砂降りでした」の悲しい返事。う〜む、諦めるしか無さそうだ。 ボートで合羽を借りて着込むが、ボート上の風が凄くて肌寒い。ペリリューに向かう途中でチェック・ダイブをすることになっているのだけれど、この寒さではダイビング気分は消滅(T_T) それでも1時間ほど走ると小雨になってきた。前方の雲は色が薄い。これくらいの小雨なら光が入らないのは残念だけれど、ダイビングしても辛くはない。 「ところでチェック・ダイブは何処でするの?」とマサくんに聞くとジャーマン・チャネルだという。潜ってみたかったポイントだ。運が良ければマンタに会えるし、マクロも楽しいポイントだと聞いている。
27年前にパラオに来て、私はダイビングのライセンスを取得しようと思った。 けれど日本に戻ってからは忙しい日々が続き、ライセンスを取得するどころか、旅行に行くのもままならない日々が数年続いた。ライセンスは結局、17年後の1998年にやっと取得出来た。 以来、色んな国に行って色んなポイントに潜ってきたけれど、私にダイビングのきっかけを与えてくれたパラオに、いまやっと潜っている。
ここまでは私とかみさんの二人だけ、貸し切りダイビングだったけれど、ボートに乗せてある私たちの荷物を先にホテルに運ぶため、私たちはもう一艘のダイビング・ボートに移ることになった。そのボートは日本人ばかり8人が乗船していた。今日のラスト・ダイブは、このグループと一緒に潜らせてもらう。
初日のダイビングを終えて、今夜の宿泊先ペリリュー島のドルフィン・ベイ・リゾートに向かう。 27年前にワンデイ・トリップでこの島を訪れた際には宿泊施設も無く、島にたった1軒だけあった雑貨屋さんが、頼めば2階に泊めてくれると言っていた。その店の周辺には戦車もまだあったし、地面にはヘルメットが置いてあって、その下には地雷が手付かずのまま放置されていた。 まさかヘルメットの下に地雷があるなんて思いもしないから、その時わたしはそのヘルメットを蹴飛ばして、店の親父さんに怒られた。そして、ついでのように「君たちの先祖がこの島でたくさん死んでいるんだ。今の日本の繁栄もあの人たちの死があってのことだろう。まずは慰霊碑にお祈りをするべきじゃないのかい」とたしなめられた。すごいショックだった。バカみたいに浮かれている自分が情けなかった。 それ以来わたしは、日本の過去の戦争の激戦地区へ行くときは必ず線香を携えるようになった。 下の写真、左はその時お参りに行った際に写したもの。右は同じ慰霊碑の現在。今では島民たちのお墓もこの慰霊碑のそばにあって、私たちの先祖と一緒に眠っている。 27年前、わたしはこの島にシュノーケリングをしに渡ってきた。日本軍が数千人死んで海が真っ赤に染まったのでその名が付いたというブラッディ・ビーチで、シュノーケリングするのが目的だった。運が良ければオウムガイの殻や戦争の遺品が見つけられるよ、という言葉に不謹慎にもウキウキと向かったのだったけれど、オウムガイも遺品も見つかるどころか、冷たい雨に打たれてガタガタ震えていたのだった。 当時は殆ど用をなさなかった片言の英語で、現地のガイドから「これを食べれば(本当は噛めば、の間違い)、暖かくなるよ」とビンロージュ(=ビートル・ナッツ)を貰い、噛み砕いて飲んでしまった。本当はガムのようにクチャクチャ噛んでペッと吐き出さなくてはいけない。結果、わたしは寒さが和らぐどころか猛烈な胃の痛みとちらつく視覚を覚え、終いにはゲロゲロ吐いた。 そんな事があったよね、とかみさんと話しなが宿泊先に向かピックアップ・バンの中で、かみさんが「今度のウェッブのタイトルは決まったね」と言う。 「なんて?」。 「ペリリューは今日も雨だった!」 そんなタイトルを付けたら笑われるだろ! 下の写真も左が27年前に写したもので、右が今回撮影したもの。 見ても判るように27年前は、本当にそのまま朽ち果てていきそうな状態だったけれど、最近では後世に残そうと管理されている。 私たちが滞在した ドルフィン・ベイ・リゾート はこの島出身のガドウィンさんとマユミさんという日本人の奥さんが切り盛りしている。ガドウィンさんはドレッド・ヘアのいかにもレゲエ! って感じの人で最初はてっきり南米方面からの出稼ぎアルバイターだと勘違いしていた。ダイビング中もボートの上では、レゲエ音楽が流れ、ペリリューで潜っているとは思えない、とても不思議な感じがした。 リゾートは全てコテージ・タイプになっていて、お世辞にもゴージャスとは言えないけれど、清潔で気持ちよかった。外にはハンモックもあって、それなりに自然を自由に満喫できるよう気配りがされていて好感が持てた。
その日の夜中に、再びもの凄い雨音で目が覚めた。「あ〜ぁ、今回の旅行は大ハズレだな。本当に“ペリリューは今日も雨だった”になってしまった。結局、自分たちはここペリリューでは歓迎されないのだな」とガッカリして再び眠りについた。 ところが朝、目覚めてみればドピーカン! カーテンを開けた窓からは、信じられないような青空が広がっていた。 ウン、ウン。有り難うm(_ _)m 真っ青な海を眺めながらレストランへ向かう。時折、茂る木々から雨粒が落ちてきて頭や背中を濡らすけど、それすらも何だか嬉しくなる。 そしてこの日、朝一番で聞いた言葉はわたしを歓喜させた。「今日の1本目はブルーコーナーを予定してます」。パラオに来てここに潜らないダイバーはいないだろう。
数年前にタヒチ・ランギロアで会ったダイバーは、ランギロアのリピーターで世界の著名なダイビング・ポイントに潜っていた。その彼は「パラオも良いけどランギが一番」と言っていた。けれど、わたしはこの時のブルーコーナーはランギの高速ドリフト・ダイブと甲乙つけがたいダイビング内容だった。 上の写真をご覧あれ。 写真中央に立派なナポレオンがいるのにダイバーは誰一人、いえわたし以外は彼女を見ていない(笑)。それほど魚影が濃いのだ。興奮するわたしに「今日は特別良かったです」と、現地ガイドさんも言っていたから、わたしは本当にラッキーだったようだ。 イクジット後、パラオ方面からのダイブショップがワラワラとやって来て、アッという間に海上はダイビング・ボートでひしめいた。ここはペリリューからなら10数分で到着出来る。 流れの強いポイントは自信が無いからと、1本目をパスしたかみさんもここから加わって一緒に潜る。しかし、アシスタント・ガイドの潮の読み違えで、ドリフトのはずが潮目に逆らっての逆行前進。アシスタント・ガイドくん、お詫びのつもりか、エアーを浪費したかみさんに自分のエアーを分けてくれた。
さて、これにてダイビングは打ち止め。折角、こんなに素晴らしいダイビング・ポイントをいっぱい有する島に来たのだから、もっともっと潜りたいのだけれど、そうそう休んでもいられない。これでも休み過ぎだと自覚し、ちょっと肩身の狭い思いをしてるのだ。 可能性は限りなくゼロに近いけど、あるかもしれない次回に楽しみを残しておこう。 翌日、ペリリューは再び雨模様となった。乾期であるこの時期を狙って来ていたのだが、「この風向きは雨期特有なんですけど、やっぱり異常気象なんでしょうね」というスタッフの言葉が悲しい。 ロック・アイランドの中を縫うようにボートでパラオに戻る際、再び27年前の記憶が蘇ってきた。下の写真の島を通りかかったとき、突然記憶がフラッシュバックしてきた。 上の場所は、今は島民の公園として憩いの場になっているらしいが、27年前は確か同じ場所にボロ小屋が建っていた。そこにお母さんらしき女性が海辺で何かを洗っていた。海の色は確かに同じ色だけど、あの時のこの浜辺はこんな乳白色した色ではなく、底が透き通って見え、群れなした小魚がボートの周囲を逃げて行った。 鮮明に27年前の記憶が、この景色を見た瞬間に蘇ってきたのだ。 |
【Mini information】 今回パラオに向かったのはコンチネンタル・エアーラインのマイルが溜まったからでもあるのだけれど、これだとグアム経由で行かねばならず、しかも帰路はヤップ島を経由してからグアムに戻る。 体力的にも時間的にも、出来ればJALのパラオ直行便を利用した方が便利。 コンチネンタル・エアーラインででパラオに向かうと、グアムで乗り継ぎになるが、その際一度グアムの入国審査を通らなければならない。 単にトランジットなのだから、そのまま乗り継がせてくれれば良いものを面倒な事だ。 入国審査を終えたら通路をそのまま左に進み、机ひとつでチェックしてる乗り継ぎ便の確認検査へ。搭乗チケットを提示してチェックを受け、乗り継ぎゲートへと向かう。 搭乗の際に搭乗チケット半券と一緒に入国審査カードが回収される。万が一、ここで入国審査カードを渡さないと、グアムから出国した記録が残らずに、後で少々面倒なことになるのでご注意。 パラオの地ビール、レッド・ルースター。アンバサダー、ライトなど3種類ほどあった。 ペリリューでこのビールを注文しようとして名前を忘れ、かみさんの「レッド・ロブスターだったと思うよ」の言葉を信じてオーダーし、大恥じをかいてしまった。 ペリリューではあまり虫を見かけなかった。ヤモリも南の島にしては数が少ない。 この島にはサンドフライという悪名高き虫がいて、これに刺されると腫れて猛烈に痒く、なかなか治らないそうだ。私たちが訪れたこの季節には出てこないらしい。3月あたりから現れるそうな。 ウェスト・プラザ・マラカルのレストランを海上から写したもの。左写真の入り口を入って外に出ると上の写真の様になってます。(ペリリューからの帰路、船上から撮影) ウェスト・プラザ・マラカル・ホテルにあったアメニティ。どうやらウェスト・プラザ・マラカルを中国語訳すると「海景旅館」となるらしい(誰が教えたんだ?) パラオ、ペリリュー共にダイビングの際には許可証(ダイビング・パーミット)が必要で、事前に申請しておいた方が無難です。 上から、 ペリリューのダイビング許可証の表&裏、パラオのダイビング許可証、表&裏 料金はペリリュー$20、パラオ$25。それぞれペリリューは2週間、パラオは10日間有効。さらにジェリーフィッシュレイクに潜る際には、別途$35の追加パーミットが必要となる。 そして帰路にはパラオの空港では空港使用税$30が必要。生産性の低い国なんだから、こんな事でしか歳入を望めないのだろう。良いことだと思う。 ジャングルに墜落した零戦 キャタピラは誰かが他所で見つけたものを持ってきたらしい 海に向かって今も照準を定めているような大砲 日本軍司令部跡 私たちが利用したコテージ。バスタブは無くシャワーのみ。水が貴重な島なのでシャワーも効率よく使おう。 ドルフィン・ベイ・リゾートの入り口にあるレセプション・ハウス。 ホワイトチップ・シャーク@ブルーコーナー ナンヨウカイワリ@ブルーコーナー ヨスジフエダイ@ブルーコーナー 帰路のフライトが深夜の1時過ぎなので、パラオの中心地、コロールのVIPゲスト・ホテルをデイ・ユースで利用した。名前はいかにも高そうだけど、安いビジネス・ホテル。 VIPゲスト・ホテルの部屋に入ったらエアコンに悪戯書き。ペリリューでは日本軍司令室跡にも日本語の悪戯書きがあった。 昼食を摂ろうとVIPゲスト・ホテル近くの韓国系レストランに入った。キングス・パレスという店の名前と店内のイメージが合致しない(^_^;) 夜に覗いたら満員だった。確かに美味しくて安かった。 ダウンタウンを散策していたら、ウエスト・プラザ・ホテルの裏通りにマッサージ店を発見。値段を聞いたら1時間$20。安い! しかし、何でこんなに淫靡で怪しげなライティングにするんだろ? 夜は食事よりお酒でしょ…って事で、居酒屋を探して見つけたのがココ(↓) 居酒屋「さくら」。 店の雰囲気も料理の質&内容も申し分無しだった。ダイアナ・クラールのジャズが流れていたのもグー。店主のセンスの良さが垣間見れた。
|